第二幕 背け、始まりの楽園は
久遠
二.
エリスは意気揚々と、デュノミアは悲愴さいっぱいで、ラファイエットの町を旅立った。
シモンを連れ去ったと思わしき帝国人たちはすでに発ち、尾行することは叶わない。ただデュノミアの両親を知っていた青年の身なり、周囲の態度から察するに、地方の軍人ではないだろう。そこからさらに推測し、デュノミアたちはひとまずコルドロン帝国の皇都を目指すことにした。そのためにも、隣国のマリノン共和国を越えていく必要がある。
スウェン王国とコルドロン帝国に挟まれているマリノン共和国も、ラファイエットとはまた違った趣きがある風景を売りとしている国だ。縦横無尽に張り巡る大水路と可愛らしい町並みから、『芸術家たちの楽園』という異名とは別に、水の都とも親しまれている。
水門から出国することに決めたデュノミアたちは、ヌーロ川の渡し船を乗り継いでいた。国のはずれにあるラファイエットは、マリノン共和国から一番遠い場所だ。三週間かけて国境沿いの関所を抜け、隣国じゃ伝統的な手漕ぎの渡し舟に乗り換えることさらに二週間。
波風は心地いい揺れを誘い、二つに結わいた赤鋼の巻き毛と紫銀の長髪は風に引っ張られ、交じりながらなびく。舟には船頭の旅の安全を祈る唄が楽しげに響いている。
「――輝く海は器となり
輝く星空は導き手となる
波は穏やかに 風は軽やかに
嗚呼マリノン! 嗚於マリノン!
私の小舟よ 軽快に突き進め
麗しきマリノンの名のもとに!」
デュノミアたちの他にもいた乗客たちは聴いているうちに楽しくなってきたのか、手拍子をし、一緒に唄いはじめる。
なんとも気持ちのいい、文句のつけどころがないほど順調な旅路だった。けれど、舟の縁に片肘をつくデュノミアは遠い目をする。
「女の二人旅だから色々と覚悟していたのに、こうも何事もないと拍子抜けするねぇ」
本当は最短距離で帝国を目指したかったが、表の経路を選んで行くのはいくらなんでも危険だ。だから時折陸地に下りては裏道を通り、できるだけ足取りを掴まれないよう努力していた。
路地裏には危険が潜んでいるから入らないように、とシモンから言いつかっていたが、当然裏道を使うとなると路地裏が多くなる。それなのに、二人は一つの傷も負っていない。
「わたし、世界にいる善人と悪人の数は半々だけど、悪人の勢力が強いと思っていたんだよ。なのに! かつあげをされるかと思ったら違うどころか、親切にされたり回れ右されたり……罪に手を染める前に改心しちゃうとか、良心の呵責を持っている人が多すぎると思うんだよね!」
「あー、これは目が本気だね……力説することでもないと思うよ」
だんだんと大きくなっていく声量に、エリスの方が先に辺りを憚りはじめた。デュノミアも注目されていることに気づき、声を落とすが、疑問を吐き出すのはやめなかった。
「耳環は貴族の命だか誇りだからつけるのは仕方ないとしても、エリスは目立つ額飾りも髪飾りもしているんだよ? まともな護衛がついていない女の二人旅なんて、悪人にとったらネギというより宝物をしょったカモみたいなものじゃない! ごろつきならこれ幸いと襲ってくるはずなのにおかしいって!」
「……それで悪意なんて欠片もないんだからびっくりだよね。多分、僕の美しさに恐れをなしたんだよ。襲われるより襲われない方が断然いいんだから、奇跡をありがたがっていればいいんじゃないの」
エリスは座り直しながら言い含めてくる。発言は適当だが、催眠作用にも似た効果はあった。
(そうか、エリスが美しいから……って! むしろ襲われること確実じゃん! エリスって、聖女とかの生まれ変わりなのかな……)
残念ながら、ありえない飛躍を果たす思考に待ったをかける者はいない。
エリス聖女の生まれ変わり説の真偽は保留にしておくとしても、デュノミアは釈然とせず、もやもやが凝り固まっていく。
「……うーん、どう考えてもおかしい。奇跡で片づけられる違和感じゃないよね。ね、エリスも不自然だって思わない?」
「あーっ!」
突如として立ち上がって叫び出したエリスに、船頭や乗客も含めてぎょっとする。立ち上がった拍子に小舟は大きく揺れ、デュノミアは慌てて縁にしがみつく。それから、あらぬ方角を指差すエリスに恐る恐る声をかける。
「ど、どうかしたの?」
「この国は浴びるように水を使えるのが売りだって知っているよね!? 大浴場が流行りだっていうし、せっかくだからずずいっと、ここで旅の疲れを癒そう! そうしよう!」
確かに指が示す方角には、遠目からでも白く細長い湯気を確認できる。あちらこちらに立ち上っているところからしても、火事によって発生した煙じゃないことは明らかだ。
(このセリフ、マリノンに入ってから何度聴いたかなぁ……)
デュノミアはまったく新鮮味を感じていなかった。むしろまたぁ? といった心境で、それでも遠慮がちに進言する。
「三日前もそう言って舟を降りた記憶があるよ? ……わたしはやっぱり、少しでも早く帝国に行きたいんだ。巻きこんじゃったエリスには、本当に申し訳ないんだけど……あの、今からでも遅くないからラファイエットに戻ったらどうかな? エリスの美貌で悪人を撃退できるっていうなら、なんかもう心配する必要がない気もするし」
「ああっ、デュノミア! なんてひどいことを言うの? 僕だけ帰すだなんて、そんなむごいことを言わないでおくれ。急いては事を仕損じるってよく言うじゃない! そんなに生き急ぐとあっという間に老婆になって、助ける前にぽっくり逝っちゃうよ? それとも僕の美貌を独占したいから、早く老けさせたいのかな? ああそれなら悩ましい、どうしよう。僕、悲しい……」
憐れっぽくよろめき、よよよと広袖で目元を隠し、泣きマネをする。服装は地味なほど簡素だというのに、その風情は悲恋に嘆く美姫のようで、すでにエリスの独壇場であった。
言っていることはめちゃくちゃなのに、エリスの迫真の演技で、もらい泣きする人間が続出する。船頭に至っては「こんな別嬪さんを悲しませるなんざぁ、罰が当たるよ!」とエリスの援護までし始める始末。孤立無援と化したデュノミアは乾いた笑い声しか出ない。
「あっれー、これも数日前に似たようなやり取りを……」
「おっりまーす!」
「あっ無視どころか笑顔で素通りした! いっそ清々しいなこの演技!」
デュノミアは急遽取った部屋で一人、自己嫌悪に陥っていた。決闘に敗北を喫した騎士のような哀愁を背負っている。ちなみに姿がないエリスは優雅に温泉をお楽しみ中だ。
シモンとイグニスのことを思えば、一刻も早く帝国に着くべきなのに、どうしてこうなったのか。意志薄弱な己に絶望し、ただ寝台に腰かけ、うなだれることしかできない。
(あああああ、わたしのバカバカ! 結局エリスの言う通りにしちゃった! 院長、イグニス兄……ごめんなさい……)
己の弱さを責め、自分をぽかぽか殴る。
デュノミアにとって、エリスは生まれて初めてできた女友達だ。男なら強く出られるが、エリス相手だとツッコミを入れることはできても、最終的には従ってしまうのが常だった。妥協してしまえるのは、シモンが無事である確信を持っているからでもあった。
かといって、のんきに温泉に浸かれる気分でもない。誘われたが、こればかりはさすがに固辞した。不思議としつこく連れ出そうとしてこないのは、今日に限ってはありがたい。
「夕飯を食べたらすぐ寝よう……」
落ちこんではいても、食欲には正直なデュノミアであった。
To be continued...
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