四話 イロモノすぎた喫茶店
「な……な、にやってんの……」
あまりのことに、さっき以上に呆然とした声が出てしまった。
「これはヤンデレらしいわ」
「や、やんでれ……」
俺はいつの間にか世界の時流に取り残されていたようだ。
わざとらしく「ふう」とか呟きながら、額に浮かんだ冷や汗を拭う。
教室に入った途端、レプリカの出刃包丁で出迎えられたせいで肝が冷えた。
汐月は無表情を貫いているからなおのこと、突きつけられた時はこのまま殺されるかとすら……。
「で、具体的にこのキャラ喫茶ってなんだよ?」
「えーっと……」
汐月は見慣れない制服のポケットから、がさごそとメモのようなものを取り出す。
「中に人はいますけど、ごゆっくりしていきますよね?」
「…………なにその妙に断定形な接客セリフ…………」
生憎と華月はいないようだが、俺は口角に引き攣りを覚えつつも入店することにした。
「他のメニューに余所見をしたら承知しませんよ」
出刃包丁のレプリカをちらつかせながら、こんなことを真顔で言われてみろ。小心者なら確実に失禁ものじゃないだろうか。
たった数分で思うところがあった俺は呻くように言った。
「…………………………なあ、汐月」
「なに?」
「この喫茶店の存在自体がおかしいってことに気づかないか?」
「どこが? おかしいっていうなら、神楽の恰好も愉快よね」
「あ」
しまった! 休憩時間なのに着替えるのを忘れてた! 道理でさっきから痛いほどの視線を感じるはずだ。
いやでも終わったらまたウェイターをやらなくちゃいけないんだし、羞恥を覚えたが立ち上がるのは堪えた。
「……と、りあ、えず……コーラを頼む」
「健康に気遣っていたんじゃなかったの?」
「桔梗がいない時を狙ってじゃないと飲めないからな」
「そう。…………ご注文、承りました。お席をお立ちになりましたら、地獄の涯まで追いかけますので大人しくお待ちください」
思わずこくこくと無言で首を縦に振ってしまうくらい、汐月の物言いには圧力があった。
っていうかこれって圧力通り越して一種の脅迫だろ確実に。PTA召喚呪文にも相当すると思う。
なんというか、真面目なヤツが言うと本当に怖いな……『呪怨』レベルの不気味さを感じる。
若干引きつつも、銀盆とレプリカを片手に去っていく汐月の背を見送った。
と、その時だ。背後から声をかけられる。
「そこの坊主」
「え?」
反射的に首を巡らせると、そこには無精ひげを生やした男がいた。二十代には見えないが、酸いも甘いも噛み分けたような渋みがある端整な顔立ちである。服装はきっちりとしたスーツだったが、どうにもだらっとしているように見えてしまう。
こんな知り合いはいないため、俺は首を傾げる。それにこの恰好の俺に対し、迷わず坊主と呼んだ辺りも不思議だった。
俺だったら男だと気づいても、変態プレイの一種か? と少しばかり警戒するというのに。
「相席してもいいか?」
「……どうぞ」
他にも空いている席はあるっていうのに、わざわざここに来る必要性は感じないけど、断る理由もまたなかった。
男は乱暴にネクタイを緩めると、豪快に足を組んだ。ポケットからタバコを取り出そうとしているのを見止めて、そこでようやく俺から話しかける。
「ここ、禁煙です」
「ん? ああ、そういやそうだったか。これだから学祭はなぁ」
「お待ちど――――
京介叔父さん!?」
やれやれと男が肩を竦めたところで汐月が戻ってきた。あまり頬筋を動かさない表情が、今はあからさまに驚愕の色を見せている。
汐月がおじさんって言うことは……まさか?
「……この人が、昨日来るって言っていたお前の叔父貴なのか?」
「え、ええ……そ、うなんだけど……」
たくさんの氷とコーラが入ったグラスを置きながら、汐月はちらちらと男を窺っていた。どこか戸惑うような眼差しに、男が苦笑している。
しかし血縁者だっていうのにあまり似ているようには思えない。
「んだよ、ちゃんとしたカッコをして来いっつったからスーツを着てきてやったんじゃねーか」
「京介叔父さん、極端すぎるのよ。スーツを着てきたならヒゲも剃ってよ、汚らしいわ」
「……思春期の娘を持つと切ねーなー……」
「おっさんくさいわね」
しみじみとした言葉をばっさりと切り捨てる声は、表情とは裏腹に親しみに満ちている。
汐月の身内ってどんなものかと思っていたけど、ごくごく普通の『叔父』だった。
ついさっき親父と遭遇してしまったあとだと、なんて良識溢れる素晴らしい身内なんだ! とスタンディングオベーションしたくなるというものだ。
羨ましい……俺にもこんなまともな血縁者がほしい……。現実の親類を思い浮かべ、俺はちょっと涙が出そうになった。酷すぎる現実だった。
「……汐月は……幸せ者だな……」
「えっなに急にたそがれた感じになっているの? どうかした?」
「……お前……叔父貴を大切にしてやれよ……」
「…………か、神楽、本当にどうしたの? 熱でもあるの?」
悲しみに暮れていただけなんだが、汐月が本気で心配そうに顔を覗きこんできた。
ぐいっと近づいてきた顔に、思わずびくっと震える。ぼんやりとした虚ろな眼差しに、なぜだか視線が吸い取られてしまう。
と思ったら後ろ襟を引っ張られ、遠ざけられた。なんなんだ? と思って首を巡らせると、砂月の叔父貴が不機嫌そうに口をへの字にしている。
「若ぇの、ちぃと距離が近すぎるんじゃねーのか?」
こめかみ辺りがぴくぴくと痙攣しているのはけっして見間違いじゃないだろう。
さっきの妙な感覚を忘れ、俺は拍手喝采した。
「素晴らしい!!」
「うおっ」
多分俺が汐月とどうにかなっているんじゃないのかっていう類の心配をしたんだろう。
俺の両親にはマネしようにもマネできない、我が子への心配である。まあ男の俺にされたって気持ち悪いだけだけど、女子である燐華であっても恋人がいるのかいないかくらいでやきもきしないはずだ。
そうだ、これぞ家族のあるべき姿! 俺は今、親父への呪詛を忘れてもいい気分だ!
「いいものを見せてもらった……」
「な、なにがぁ?」
さすが血縁者と言うべきか。汐月とその叔父貴は揃って呆けた声を出しながら、同じ方向に首を傾けている。
おおおおおおお……俺は打ち震えた。なんだかとてつもない奇跡を垣間見たような……正しい家族の在り方を知れたような……そんな気がしてならない……。
俺は用意されたグラスに手を伸ばし、ぐいっとコーラを一気に呷る。それから懐から取り出した食券を机に叩きつけ、勢いよく立ち上がった。
「汐月、ありがとう! 俺……午後の女装を頑張れそうだ!」
「え、え? なにが? え、どうしたの? ねえ?」
目を白黒させる汐月に、機嫌よく「じゃあな!」と返した俺は踵を返す。
今ならこんなクソみたいな女装姿でも、午後のウェイター業を耐え凌げそうだ!
§ § §
――と、思えたのはたった数十分だった。すぐさま俺は後悔した。早すぎるハイパータイムの終わりである。
別になんら大事件が起きたわけじゃなく、驚きすぎて脳内麻薬が途切れたのだ。
まず唖然とした。の、野武士……? 二度見するが、やっぱり野武士だ。
「うぬ」
重々しく首肯する姿はまさしく武士である。
拙者とかそれがしとか言いはじめても違和感がない、いやむしろしっくりくる容貌だ。しかも渋い浴衣を着て、竹刀が入った袋を背中に斜めがけしている!
え、江戸時代の遺物……? 俺はいつの間にタイムトリップしたんだろうか。思わず頬を抓った。
「娘御」
「む、むすめごぉ?」
俺のことかーっ!? しかも娘じゃなくて俺は男だぞー!
戻ってきてすぐ、軽く時代を混乱してしまうような父兄が訪れるとは……さすがイロモノ喫茶だけある。イロモノにはイロモノを引き寄せる効果が働いているんだろう。
武士はきりりとした太い眉を困ったように歪め、どこか躊躇いがちに切り出す。
「すまぬが、ここに砂月聖桜という……」
「あーっ! 父さん、ここにいたの?」
そんな軽やかな声を上げて現れたのは、華月に懸想されている砂月だった。ちなみにその服装もまた古めかしく、大正時代の女学生を想起させた。
硬直から解けた俺はまず、真っ先にあることを訊いた。
「……それが……砂月の父親?」
「うん、そうなの。密林や樹海、山地とかなら方向感覚ばっちりなんだけど、こういう都会じみたところだとすぐに迷っちゃうから探しにきたんだ」
「……えー」
ターザンも真っ青な野生度だな! 密林ってなんだよ! そもそもこの都会で樹海に迷いこむことってあんのか!?
俺の常識に歪みが生じるのが判った。
すると、武士――いや砂月の父親もなにやら照れたように後頭部をかく。
「勘違いしてしまいすまぬかった。まさか
男だったとは……近頃の流行は移り変わりが早いな」
それはマジなのか? マジボケなのか? 俺は真顔で問いかけたくなる。まさか桔梗を上回るド天然が、砂月の父親だったとは……桔梗と実に気が合いそうだけど、この人が『聖桜』と名づけるとは予想外だ。
だけど、突っこむところってそこじゃない気がするぞ。そもそも女装に流行もクソもないと思うんだけど……。
俺は内心冷や汗をかいた。こ、これは訂正した方がいいのか? なあ? 微妙すぎてよくわかんねえ!
こういう時のためのツッコミのエキスパート華月を召喚したいところだけど、生憎と見える範囲に存在を確認できない。
砂月は冗談だと思ったのか、けらけらと嫌味なく笑い飛ばす。
「父さん、やーねぇ。霜月くんだって反応に困ってるじゃん! ジョークはほどほどにしておきなよー」
「うむ? いやしかし、よく似合っておるな」
「確かに! 驚くほど似合っているよね。客も来るはずよ」
ヤバイ、ツッコミのタイミングを逃した。
俺にはこんなボケ検定一級でも持っていそうな人間に突っこむなんて無理だ! 誰か! 誰か助けてくれ!
まさか女装とは無関係のところで助けを求めたくなるとは思いもしなかった。
さっきは汐月とその叔父の関係性に感激したが、これには感激するより前にツッコミどころが多すぎた。
とそこに、涼しげな低声が割りこんでくる。聞き慣れたそれに一瞬救われた気持ちになるも、はたとあることに思い至った。
「砂月、親御さんは見つかったのか?」
「あっ! 桔梗くん! お陰様で見つかったよ、捜すの手伝ってくれてありがとうね」
砂月はそりゃもうぱぁと表情を明るくし、嬉々とした様子で振り返る。対する俺はタイミングの悪さを呪うしかなかった。
げっ! 慌てて背を向け、顔を俯ける。まずい。これ以上幼馴染に恥部を見せるわけには……なけなしのプライドを守るため、自衛心が働いた。
「かたじけない。……娘がいつもお世話になっておるそうだが、迷惑はかけておらぬか」
「いえ、そんなことありませんよ。むしろ、俺の方がいつも力を貸していただいています」
「やだもう! 桔梗くんってばお世辞が上手いのね!」
なんだこの高校生らしからぬ会話は。こう……あれだあれ。結構最近、ドラマで見たワンシーンを思い出す。
『お義父さん……娘さんを僕にください!』
『貴様におとうさんと呼ばれる筋合いはないわーっ!』
どんがらがっしゃーんとちゃぶ台をひっくり返すオプションでもあれば、いかにもそれらしい。
こんな雰囲気を醸し出している気がするんだが、俺の気のせいじゃないよな? なんだかもう、どこから常識を疑えばいいのか分からない。
そんな風に現実逃避している最中、とうとうヤツに気づかれてしまった。
「……その後ろにいる方は……?」
「あれ、桔梗くんは模擬店の内容を知らなかったの? 彼は」
言うな言うな言うな言うな! 俺は今すぐ振り返ってタックルでもぶちかましたくなる。
しかし必死に念じるも虚しく、砂月の脳内まで祈りは届かなかったようだ。
「桔梗くんの幼馴染じゃない」
「………………………………………………………………………………………………………………………………は?」
数秒どころか数分くらい呼吸が止まったような沈黙ののち、呆けた声が耳に入ってくる。
気持ちは痛すぎるほど理解できた。まさか幼馴染がこんな花魁の恰好をしているとは夢にも思いたくないだろう。
だから、だからこそ分かってくれ! とっとと回れ右して消えてくれ! 俺はそんな心遣いを期待したが、桔梗もそんなことはしてくれなかった。
「るう、なのか?」
「双月くんって背が私とほぼ同じだから、それはないわよ」
「たかげた……」
「高下駄効果があっても、桔梗くんよりだいぶ高くなるものかな」
なんでいちいちまともなツッコミを入れているんだ砂月ぃいいいいいいいい!!! 自重して空気を読めぇえええええ!!
桔梗の生気が抜けた声は、だんだんと核心に近づいている――と思われた、が。
「そうか、わかったぞかずきだな!」
「どうしてそこにいくんだよお前! そもそも髪色が違うことに気づけっ。あとクラスの看板も見ろ!」
衝動的に裏手ツッコミをかましてしまった。当然、我が幼馴染殿と向き合うはめになる。
その服装は砂月とお揃いなのか、これまた大正時代の書生スタイルだった。1-Bの模擬店がどんなのなのかは知らないが、大正をモチーフにしているヤツを出しているのかもしれない。
桔梗は口から魂が抜け出している表情で、顔面蒼白にさせていた。人が絶望する顔ってこんな感じなのかもしれない。
やっちまった俺はしゃがみこみたい心境になる。大きく傾いた精神を立て直したのか、桔梗は挙動不審になりつつも話しかけてきた。
「……神楽、それは……」
「人違いです」
裏声を使って主張してみるが、桔梗の視線は憐憫の色を濃くするばかりだった。うるさい! ちょっとくらい足掻いたっていいだろ!
「……何も言うな……俺が一番現実を知っている……」
二人して凹んだが、それはなんの慰めにもならない。
願うだけで人の記憶を抹消できたなら……! そんなことをぎりぎりと歯軋りしながら思ったが、それをできるのは夜空くらいだろう。俺は生憎と呪術は嗜んでいない。
「その、なんだかごめんね……? ばらしちゃって……」
「別に」
バレるのも時間の問題だったしな。ふっと遠い目になる。そんな俺の姿に相当ヤバイと感じたのか、砂月はさらに頬筋を引き攣らせていた。
「砂月、神楽のことは気にするな。ちょっと危ない世界に片足を突っこみかけているように見えるが、これが神楽の普通なんだ。言葉通りさほど気にしていないぞ」
お前に言われたくねえよと思ったが、桔梗にしては珍しいフォローである。砂月を気遣っているのがよく判った。
……ん? んん? そこでなにやら引っかかりを覚える。フォロー? 気遣い?
「え、そうだったの? 電波って噂、本当だったわけ?」
「それは嘘だ。正しくは書物愛好家だ」
「……うーん、充分電波っていう噂を裏づけしているような……」
気難しそうに唸る砂月と、そんな彼女に柔らかな微笑を見せる桔梗。
……………………うーん。二人を交互に見やる俺も呻く。
「仲よきことは素晴らしきことかな」
同じように眺めていた砂月の父親は朗らかに言った。
それで片付けていいのか野武士――じゃなくて砂月の親父さん。
「父さんが見つかったことだし、早くうちの模擬店に来てよ! じゃあね、霜月くん!」
との砂月の一言で、闖入者三人は退散した。もっと早く消えてほしかったものだ。
そんなシビアな感想を抱きつつ、身を翻してすぐ目と鼻の先にある入り口に痛恨を覚える。
しまった! 中に入ってしまえばよかったか! 己の迂闊さに、豆腐の角にでも頭をぶつけたくなった。
壁に額を打ちつけようとしていたら、またしても後ろ襟をぐいっと引っ張られる。
「……神楽、なに遊んでいるの?」
ちらりと一瞥すれば、怖い顔をした夜空が佇んでいらっしゃる。だけどその程度で怯える俺ではないため、普通に受け答えした。
「これは絶望の舞い」
「あー、はいはい。踊り狂っててもいいからウェイターに戻ろうねー」
なんだか俺のあしらい方が上手くなったなオイ。
店内に引きずりこまれる中、俺は心の中で喚いた。
――どいつもこいつも! どこもかしこも! イロモノばっかりだなちくしょー!
まだまだ文化祭は盛り下がることを知らない。
そんなこんなとありながら、波乱続きの一日目はこれにて終わった。
To be continued...
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