kira 第五幕  アリスの夢

「……なんでそんなに離れているの?」

 思考回路が覚醒してすぐ目に入ったものに、わたしは気づけばそんな風に声をかけていた。
 落ち着いてみると、あんな大声でがなったことって生まれて初めてかもしれない。それもあってか寝起きはすっきり、気分も清々しかった。
 隠れているつもりなのかは判断つかないけど、部屋の隅っこで縮こまっている人――ルキフェルさんがびくりと、大げさなほど肩を揺らす。
 その様子に、つい小さく笑ってしまう。ファーストインプレッションからいけすかないとしか思えなかったのに、今は彼がすごく可愛く見えた。
 仮にも男の子相手に可愛いってどうかしているかもしれないけど、今のところ頭は正常である。

「こほん」

 わざとらしく咳払いしてみせると、今度はびくびくぅ! と震えた。ぶあっと噴き出さなかったわたしは正直偉いわ。
 小動物を相手しているみたいだ。警戒心の強い仔猫とか? 言いえて妙ね。だから優しく優しくと念じながら笑いかける。

「ごきげんよう。ねえ、どうしてそんなところにいるの?」
「………………髪……」
「はっ、髪?」

 ルキフェルさんは俯いたまま、ぽつりとごちる。まさかそんな返答が戻ってくるとは思ってもみなかったから、思わず問い返してしまった。
 今、この場面で、髪って重要なアイテム? ボブになった髪の一房を持ち上げ、首を捻る。

「髪がどうかして? 短くなっていたのが驚いたの?」
「……違う」
「じゃあなんだっていうの」
「髪が……」

 煮え切らない態度っていうはこのことか。穏やかな気持ちで向き合っていたけど、それで頭のどこかがぷっつんと切れた。

「もうっ! はっきりしなさいよ。それでもあなた、男なの!?」

 転がるようにベッドから立ち上がろうとしたけど、勢いをつけすぎたのか足元がおぼつかなかった。その瞬間、暗がりを好むキノコみたいに佇んでいたルキフェルさんが目にも留まらぬ速さで動く。
 あっと思う間もなく、ルキフェルさんはよろめく体を支えてくれた。その憂いを湛える大きな双眸に、わたしは声も出なくなる。
 局地的なワープをしたとしか思えない素早さもあるけど、また別の要因から心臓が早鐘のように脈を打つ。どうしよう、きっと今のわたしは顔が真っ赤だ。わたしよりルキフェルさんの背は若干低いのに、異様に頼もしく見えてしまったのも、幻覚?

「……大丈夫?」
「え、ええ……わ、わたしは、大丈夫。そのありが」
「髪、ごめん」
「へ?」
「アンタの髪、長くて綺麗だったのに……」

 お礼を言おうとしたのを遮って告げられたのは、ぷしゅうと頭が沸騰しそうになる褒め言葉だった。それも心底惜しそうな声音で、どうしろっていうの! の心中で叫ぶ。
 悔恨に満ちた顔はいかにも苦しげで、長い睫毛は伏し目がちになった。吹きこむ風によってなびく髪の色は、漆黒の闇。

「僕たちがデスティアーナじゃない異空の客人を招待しているって、表明しなかったから」
「そんなの、まさかこんな事態になるなんて誰も思わないから仕方ないわよ」

 ドーヴァー海峡に沈みたくなるほど落ちこんだけど、今は立ち直っている。それよりルキフェルさんの表情をどうにかしたかった。
 嘲笑やら小憎たらしく揶揄する顔は腹立たしい。でも花畑で見せてくれた笑顔は、心が弾むほど嬉しかった。もう一度あの笑顔を見てみたくて、慣れない慰めの言葉を弄する。

「そのことに関してはちゃんと抗議したし、はたくこともできたから気がすんでいるの。だからあなたも気にしないで」
「気にするっ!」

 意気消沈していた姿からは想像できないほど強い語調だった。
 キッと眦を決し、ずいっと顔を寄せてくる。そんな目と鼻の先ほどの距離感で、彼はすさまじい目力で睨みつけてきた。

「アンタの気配がなくなってしばらくして……髪が送りつけられてきて……頭がどうにかなりそうだった。これが頭部だったらって想像したら、僕は気にせずにはいられない」
「ルキフェルさん……」
「それだけじゃない。僕、あいつらじゃなくて……アンタを殺そうとしたんだ。あの下っ端共に囲まれているアンタを見て、殺してやりたいって思った」

 どきりとする。冗談かと思ったけど、その目は少しも笑っちゃいなかった。春の空色をしていたはずの瞳が、今は暗澹と曇っているようにすら窺える。

「でもアンタが気を失って……全身、火傷を負っているのを見たら……」
「や、火傷ぉ!? い、痛くないけど」
「僕が治癒した。でも、胸元の傷だけは消せなかった」

 慌てて服の下を覗くと、確かに胸の谷間にそんな傷痕が残っている。その痕は十字架にも似ていて、これなら別にいいかなって思う。
 っていうか胸元って……ま、まさかルキフェルさん、わたしの裸を見たわけ!? しょうげきてきだ! と頭に浮かぶ言葉が片言になっちゃうけど、突っこもうにも空気的に口にできなかった。

「……あいつら、殺したかった。アンタに触った手を切り落として、腕を折って。アンタも死ねばいいって思った。でも、でもアンタの、寝顔を見ていて……!」

 ひくっと目尻が痙攣し、喉仏が大きく上下する。瞳には薄い膜が張り、よりぼんやりして見えた。
 顔を隠すように首が横に振られた時、水滴のようなものが頬にかかる。それは冷たくて、だけど熱くて、胸に痞えができた。
 肩口に、温もりが押しつけられる。ルキフェルさんの頭だ。切なそうに漏らされる吐息が鎖骨にかかり、ぞくっとしたものが背筋を這い登ってくる。

「殺せなくて、よかったって思ったんだ。……どうしてなんだ」
「え?」
「デスティアーナは暴動の最中でも無事だったのに、なのにアンタはなんで巻きこまれているんだよ! 髪を切られたりっ、触られた挙句抱きしめられたりさ! 僕たちの誰も、あいつに触れなかったんだ。誰にも親切で気安かったけど、心に決めているオトコがいるからって……恋慕を持ち合わせていないヤツだって近づけもしなかったのに、アンタは無防備が過ぎるっ。前に似ているって言ったけど撤回するね、アンタはまったく、似ていない! 絶対似てない!」

 至近距離っていうか耳元でそんなことを喚かれたわたしは、どんなリアクションも取れなかった。
 だってこれって、こんなのって……急激に喉の渇きを覚え、頭に血が昇る。だってまるで――嫉妬しているみたいじゃない!
 そんな、なんで。こんな、いやどうしてこんな言い合いをしているの? さんざん殺したいとか死ねやら暴言を吐かれていたのに、ルキフェルさんの自棄になった声色に甘みが帯びて聞こえはじめたのは、やっぱりわたしの耳がおかしいせい?
 全身が火照って、両肩を掴まれ乱暴に揺さぶられても、なすがままになってしまう。だから両親のことを考えて気を紛らわせる。
 か、母様(かあさま)って父様(とうさま)フリークだったのね……一筋にもほどがあるわ……。ちょっと気持ちにゆとりが持てたから、なんとか言い返す。

「そ、そんなの、わたしに言われても……こ、困る、わ」
「知ってるよ! くそー……アンタ、ホントなんなんだよ! アンタのせいで調子が狂って、力の制御も上手くできないし! 全部全部アンタのせいだ!」
「それは、なんというか……お、お疲れ様です?」
「うっさいよっ、アンタに労わられたくない! 黙れ!」

 柳眉を逆立て、すさまじい反射速度で怒鳴ってくる。なのにルキフェルさんの白い筋も残った頬には、大輪の赤い花が慎ましやかに咲いていた。
 そんな全力で照れている姿を見せつけられると、同じように憤慨することは難しかった。逆ギレされているのに理不尽すぎるわ。
 遺憾だけど、でもけっして嫌な感覚じゃない。被虐されたいとも思わないけど、こんな感情に振り回されるルキフェルさんを見れるのは役得だって思ってしまった。
 こういうのをなんていうんだっけ。惚――いやいやいやいやいや。わたしは胸中で力いっぱい否定する。そんなわけないわ、うん! 気のせいだと、力技できつく蓋を閉める。まだ直視したくない類のものだったから、違うことを考えようと思考を飛ばす。

「……そういえば、派閥争いってどうなったの?」
「激化したよ。あいつらが僕を抑えこむのに力を割いたから、陣地まで攻めこまれちゃってね。ホント、内乱って感じだよ」

 間を置くことなく返ってきたけど、違う話題を模索していたから速かったんだろう。だってまだ目の動きがそわそわしている。
 わたしと同じように完全に落ち着けていないのは明白だった。まぁ長時間、あんな生ぬるい空気の中にいたくないものね。話に乗ってきてくれたことを感謝しつつも、平然と放たれた言葉に頭を抱えたくなった。

「なんですって!? な、内乱って……じゃ、じゃあ、あの狼の成り損ないと蛇頭の男たちは!?」
「……いつも思うけど、アンタの名づけ方って斬新だよね。たいがい失礼だけど、なに? 報復したいの? 仕返ししたいなら力を貸してやってもいいよ」
「違うわよっ! 無事なのかって、訊いているの!」

 すると、ルキフェルさんは信じがたいことを耳にしたというように目を剥いた。次いで唾を飛ばす勢いで、頭から押さえつけるように声を荒げる。

「誘拐しやがったヤツの心配とか、アンタ、真正のバカだろ!」
「き、決めつけないでちょうだい。さっき気がすんだって言ったじゃない。わたし、彼らに協力するつもりだったのに……そこにあなたがやってきて、めちゃくちゃにしちゃったのよ!」
「ハァ!? なに、それ? まさか僕のせいだって言いたいの? ふざけんなよ、アンタ!」
「あなたのせいなんて、一言も言ってないじゃない。被害妄想もほどほどにしてよ! 感謝しているけどっ、あああああもう! 埒が明かないわ、フォビアさんたちはなにをしているの?」

 ヒートアップする一方のやり取りに、無理やり終止符を打つ。まだ興奮しているけど、こういう時こそ冷静になるべきだわ。
 ふぅふぅと肩で息を吸い、呼吸を整える。その傍らで地団駄を踏んでいたルキフェルさんも歩み寄ってくれる気になったのか、目が据わったままでも答えてくれた。

「……さぁね。それこそ城で紅茶でも飲んでいるんじゃないの? そういえば、フォビアがアンタの紅茶を恋しがっていたよ」
「こんな状況で紅茶って! あー、でもとあるイングランド人傭兵は陶杯を持ったまま死んだ、なんて本当にありそうなネタを言われる国の人間としては、のんきな! とか言えない気もするっ。複雑! いや不覚っ」
「…………アンタの祖国って、いったいなんなの」

 硬質なハスキーヴォイスに、腰は若干引いているように見えるけど、気のせいでしょう。うん、そうに違いないわ。それ以外の現実は認めない。
 脱線しちゃったけど、それよりも派閥争いのことだ。頬に指を添え、思案中ですのポーズを取る。ポーズは、ポーズ止まりだ。すでに答えは出ている。

「ルキフェルさん、お願いがあるの」

 内心の気恥ずかしさを押し隠し、なんてことないように相手を見据える。ルキフェルさんはただ黙って、ほんの少しだけ顎を引いた。


To be continued...


←BACK  TOP  NEXT→

SITE INDEX // PAGE TOP > 小説広場 > アリスは二度死ぬ ...

マネーゲーム絵日記コミュ 2style.net