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本田凌はわたしの憧れの人だ。わたしは本田さんのようになりたい。
そのためにはどうしたらいいかと考えて考えて考えて、最終的に短絡的に彼女と友達になろうと決めた。中学生女子の友達同士ってなんとなく似ている子が多いし、長い時間一緒に過ごせば彼女の性格や考え方、癖もよく分かるだろう。
「なに読んでるの?」
読書中に掛けられたくない言葉ナンバーワンをあえて放つ。だってわたしは本田さんのことをできる限り知らなきゃいけない。知って彼女に近づきたい。目的を達成するために手段は選べない、躊躇だってしてられないのだ。
「えっ」と顔を上げた本田さんの瞳から、わたしはあきらかに個体認識されていなかった。「『グランド・フィナーレ』って小説だけど……なんで?」
本田さんは基本的に人がいい。愛想もいい。最後の「なんで?」は「なんで教えなきゃいけないの?」だろうか、それとも「なんでそんなこと知りたいの?」だろうか。どちらにせよこの質問が微妙に歓迎されていないことは分かる。わたしはそれに答えずに
「むずかしそうな本読んでるね」
ニコニコと笑ってその場を離れた。
当然帰りがけに図書館に寄り『グランド・フィナーレ』を借りたわたしは、ベッドの上でそれを開いてわりとげんなりした。衣替えも終わり扇風機がなんとも控えめにまわる教室の中、窓際の席につきクリーム色のカーテンをいじりながら涼しい顔して読んでいた彼女の気が知れない。が、しかし。本田さんはこれが好きなのだきっと。ならばわたしも、生々しい描写に食欲なくしたりしてないで文学性を受け止めなければならない。彼女が嗜む芸術を理解しなければいけない。
「本田さん、おはよ」
翌日の朝声をかけると本田さんは訝るような表情で一瞬固まった。それもそのはず、同じクラスになって2年、積極的に挨拶したのなんて初めてに等しいのだ。
「おはよう」
「昨日読んでた本、わたしも読んでみたよ。斬新で面白いね」
そしてわたしは昨夜一生懸命考えた賛辞を述べる。わたしと本田さん。かつて無いコンビ。周囲がこちらにクエスチョンマークを寄越しているのが肌で感じられた。本田さんは無表情にほんの少しだけ愛想笑いをのせてわたしの話を聞いている。誰かが扇風機のスイッチをONにした。
「凌、おはよー」
あたたかな声に振り向くと、らしくないポロシャツ姿で早苗が立っている。
「おはよ」と心なしか本田さんは緊張をゆるめて口を開いた。「『グランド・フィナーレ』読んだらしいよ」とわたしのほうを指差す。
「あたしは早苗のを借りてただけなんで。正直あんまし面白くなかった」
「うそ。凌ああいうの好きだと思ったのに」
「うーん、先週読んだヤツのほうがまだ良いな」
早苗の微笑がなまぬるい空気を凍りつかせ、幸せに風化した会話はわたしを負かす。
こんなもんで挫折していちゃいけない、となんとか前向きになったわたしは次の手を思案しはじめた。路線変更だ。そもそも趣味の共有で本田さんのようになれると思ったのが間違いだったのである。1冊の小説を好きな人がいったいこの世に何人いるかという話だ。
とりあえずわたしはその日美容室に行き、髪を黒に戻して肩の辺りまで短く切った。形からでも、なんでも。
「本田さん、今日の放課後ヒマ?」
「……暇、だけど」
一緒に街を歩くと、本田さんに注がれる視線に若干当てられた。普段自分が体験することのない状況に緊張する。そりゃあこれだけの容姿には「道ゆく人も振り返る」だろう。いくら彼女のようになりたいといっても限界があることはきちんと知っているつもりだ。
数時間話してみて分かったのは、彼女は大変クールな人であること。
「いきなり誘われてビックリした?」
「うん」
さらっと頷いてみせる本田さんのストレートさにちょっとだけ怖じた。
「本田さんて女子高志望?」
「いや共学」
自分も共学志望なことに内心ガッツポーズをとった。共通点は多ければ多いほど好ましい。
「なんで?」
コーヒーゼリーに鎮座したクリームを掬い上げながら問う、目の前の瞳が静かに揺れる。この反応はなんだろう。
「かっこいいから女子校行ったらモテそうだなって」
「ああ」と嘲るような呆れるような声がした。「そういうのすげー嫌い」
ファミレスの喧騒からひとりだけ抜け出したように、本田さんは鋭い台詞をにこやかにこぼす。そういうのってどういうの、と愚直に聞きたかったけど、飲み込みが悪いと苛付かれそうなのでやめた。
「好きな人は?」
「え。……えっと」
それまで白黒はっきりだった彼女が初めて言い淀むと、わたしの気分も濁る。
噂は有名だ。本田さんと早苗が付き合っている、という。GOかSTOPか迷っているような彼女の表情で、真実は簡単に見て取れた。
「早苗でしょ」
「なんだ。知ってるんじゃん」
「それなのに女子校は嫌なの?」
ああ、結局聞いてしまった。本田さんは和やかな面持ちでスプーンを置く。カチャ、と小さな音が頭にがんがん響いてくる。
「人口が偏ってるのが嫌だから。あと、あたしたちは男も女もいる中で恋愛してるの。女だけの空間でモテるだのなんだの、そういう話とはまったく別次元」
コーヒーゼリーがいたく気に入ったようで、本田さんはずっと笑顔だった。
「おはよ本田さん。昨日はどうもありがとう」
いつもより5分早く登校すると、教室は想像以上にがらんとしていた。
「あーおはよ……目、赤いけど大丈夫?」
「凌が泣かせたの? ひっどーい」
ほの白い光にグレーの線が混じる。溶け出してぐしゃぐしゃになっていく。
なんでこのふたりは前後の席なんだろう。なんでわたしじゃなくて……やつあたりの感情が無為に募った。早苗は本田さんに散々ちょっかいを出して、仕舞いには怒られて。それでも楽しそうに口角を上げる。
「そういえば、ショートカット似合ってるね。凌とお揃いだ」
「あ、ありがとう。似ちゃったのはべつに、ただの偶然で」
「ふーん」と早苗は赤いリップを取り出しながらわたしの目を射た。「弁解しちゃうところがあやしー。もしかして凌のこと好きだったり」
とっさに、手を上げていた。でも人を殴ったことなんてないから作法が分からない。やみくもに両手を出して早苗の胸をどつくと、彼女は脇にあった椅子の足につまづいて床に倒れ込んだ。
落ち着き払って本田さんは早苗に手を差し伸べる。彼女はその右手をチラッと見るだけで、取ろうとはせずにごくり唾を飲んだ。
「ごめ、ん。冗談のつもりが……」
弱々しい声を背景に本田さんと視線がぶつかる。お互い睨み合って、でも涙が出たのはわたしだけ。
結局わたしは彼女と程遠い存在なのだ。いくら足掻いても似た人間になどなれるはずがない。視界をかすめる黒髪が滑稽な輝きを纏い、足元の要塞を着々と侵略していった。
景色が歪み褪せる。茫然とわたしを見上げる早苗のしたたかで細い太股、その達者さに浅く絶望した。
気持ち悪いほどキレイな言い方をすれば、本田凌はわたしの憧れの人だ。そして大嫌いな人だ。
私は彼女のようになりたかった。早苗に愛される本田さんのように。本田さんに、なりたかった。
[10/07/22]
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