はるとおしまい


 篠原さんは付き合いが悪い。
 と、みな口々に言う。やれカラオケに付き合ってくれなかっただの見たい番組があるといって二次会不参加だっただの、あたしにしてみりゃ自主性があっていいなあと思うのだが世間の総意とはズレてるらしい。ま、あたしのアイデンティティは「みんなと違う」というところにあるのでズレてること自体は喜ばしい。
 でも決して悪い人じゃないんだよね、と必ず付け加えられもするのが篠原さんだ。
 付き合いが悪いというと一般にクールで無口でそっけないニヒリスト、集団行動?ははっ、みたいなタイプが連想されるだろう(極端か)。篠原さんはそのどれにも当てはまらないしむしろ正反対といっていい。温厚な物腰と巧みな話術を持ち、気さくで好奇心旺盛、協調性もある。そりゃ人と人の間には相性って壁があるから誰からも好かれるとまではいえないけれど、彼女のことを知る人はたいがい一言目に「いい人」と称すくらいだ。
 だから篠原さんがイベントごとに出席しないのはクラス内でちょっとした謎になり、無責任な仮説が無責任に囁かれていた。気になるなら本人に直接聞けばいいものを、それでは面白くないとばかり謎の保全にいそしむ一部のクラスメイトの気持ちにあたしはちっとも共感できない。
「美和ちゃんも東上線だったんだね」
 というわけで春休みも残りわずかになった今日、最後の思い出作りとの名目で企画されたお台場でのクラス交流会に行く道すがら篠原さんに会っても、てっきり彼女には別の用事があるのと思い込んでいた。しかし話しているとどうもかみ合わない。おまけに彼女も池袋でりんかい線に乗換えときた。あれ、もしかして……と尋ねると「うん、そうだよ?」とにこやかに答えられ拍子抜けする。賢い人だから自分が行ったらどう思われるのか理解しているはずだ。案外曲者なのかもしれない。
「美和でいいよ、いまさらだけど」
 ちゃん付けは今も昔も慣れなかった。にもかかわらず未だ呼び捨てにされていないくらい、この一年間あたしと篠原さんは接点がなかったのである。待ち合わせの東京テレポート駅につくまで20分ほど。うーんどうやって時間をつぶそうか、とこの時点ではどちらかといえば頭を悩ませていた。
「おっけ。美和ちゃんってかわいいんだけど。私のことも有紗でいいよ、篠原ってふたりいるからややこしいでしょ」
 ちなみにもうひとりの篠原さんとあたしは結構親しい。ふたりの「篠原さん」はもともと仲良しコンビで通っていたのだけど気付いたらそうでなくなっていて、気付いたらあたしのとなりにもうひとりの篠原さん(ややこしい!)がいた。篠原(有紗)さんのまわりでは恒常的に、そうやって人が流動している。来るもの拒まず去るもの追わず精神なのかしら。もうひとりの篠原さんに彼女のもとを去った理由を聞いたことはないし特に知りたくもない。前述した「一般的な付き合いの悪い人イメージ」に当てはまる部分があたしには多々ある。
「もうすぐクラス変わっちゃうけどね」
「だねぇ。美和ってクラス変え好きなクチ?」
 酒飲みのような口調に吹き出してしまう。篠原さん、もとい有紗は水色の携帯を軽快にスライドさせつつ問うた。 「好き好き。さっぱりするもん」
「人間関係が?」
「まーそんなところ」
「私はあんまり好きじゃないんだ」
「へえ、意外」
 本心である。有紗は自立心があってまわりに流されない人間かと思っていたから。
 電車が動き出して車内は騒音に包まれる。日曜の昼間だというのに乗客は少なく、あたしたちが座っている列には大学生と思しき女性がひとりいるだけだった。
「あー……やっぱり誤解されてるよね」
「誤解? 有紗が?」
「うん。私ってひとりでも大丈夫なキャラに見えるでしょ。誘われてもついてかないから」
「ってことは違うんだ。なんで断り続けてたの?」
 有紗はしばし逡巡して、「あ、言いたくないならいいよ」とあたしが慌てるより一寸早く口を開いた。
「付き合ってる人がいてね、遊びのお誘いあった日は悉くデートと被ってたんだ。放課後の寄り道なんかは結構付き合ったのよ?」
 ははあ、なるほど。噂のうち一番の有力候補が実は的を得ていたというわけだ。
「ラブラブだね、羨ましい。相手は他校の人?」
「えーと」となぜか口ごもる。「そう他校の人。だからなかなか会えないんですよ」
「そっかそっか。それならそうと断っとけばよかったのに。あーでも彼氏のこととか詮索されたらうっとうしいか」
 電車が止まり、開いた扉からはおそろいのカラフルなパーカーを着た小学生女子ふたり組みが乗り込んできた。有紗は彼女たちをどこか切なげに見つめている。一瞬瞳のなかがおおきく、それはもう大きく激しく波打ってあたしは動揺した。はあ、と露骨にうつむく仕草は計算じみて映る。
「……どうしたの?」
 仕組まれれば聞かざるをえなかった。
「ん。その人……彼女とは小六のときから付き合ってるんだけどね、いろいろ難しくて」
「長っ。小六からってことはもう五年じゃん」
 言い終えてから「彼女」の二文字に気づく。そっと有紗をうかがえば特に気にした様子もなく普段通りそつのない笑みをたたえていたけど、それがかえって罪悪感をかきたてた。ああそうか、だからさっき小学生を見てあんな表情をしていたってわけね。女子ふたりじゃ傍目には友達に見えるんだ、ってあの子たちに自分と彼女を重ねて客観視したら切なくなる要因が見つかったのだろう。
「っと、彼氏じゃなくて彼女だったんだね。無神経でごめん」
「ううん気にしないで。難しいのは性別のせいじゃないから」
 じゃあなんのせい、と疑問をそのままぶつけたら今度こそ無神経なやつだと思われそうなのでやめた。劇の幕間みたいに沈黙が訪れる。りんかい線の中がうるさくてよかった。
「彼女の話、してもいい?」
 数分をやり過ごすと有紗からクエスチョンが降ってくる。あたしはその言葉にとても、柄にもなく無邪気に喜んでしまった。聞きたくないことを黙っていてくれるのと、聞きたいことを話してくれるのが嬉しいのは世界の常識だ。
「あたしでよければ聞くよ」
 ちらりと時計を見ると残り七分ほどで目的地についてしまう。さっきまで持て余していたはずの時間はいつのまにか、惜しくて仕方ないものに変わっていた。
「ありがとう」とひと呼吸おいてから有紗は堰を切ったように話し始めた。「さっきも言ったけどね、私は本当にひとりじゃダメなの。教室でだって必死に誰かについてまわってた。付き合いが悪い、ってイメージのせいで寂しがり屋の性格には気付いてもらえなかったんだけど。でも、学校でそんな風に思われててもべつに平気。私は彼女にすっごく依存してるから彼女さえ隣なら生きられる。自立心旺盛なんて評価をよくもらうけど彼女に見せたら大笑いされるんだよ。私が自分を持ってるように見えるのは花音が強烈に強い芯を持ってるからで」
 そこまで言いかけて恥ずかしそうに言葉を切る。彼女の名前はカノンというらしい。漢字は花音だろうか、個性的で響きもきれいだけどなにか引っ掛かるものがあった。
「のろけっぽく聞こえちゃうかもしれないけど本当にかっこいいんだ。自分の思ったことはきはき言えて、度胸も行動力もあって。それこそひとりでなんでもやってのけちゃうのよ、器用で要領もいいし。私は花音と一緒にいると何でもかんでも彼女に頼っちゃう。些細なことから結構大事な決断まで預けちゃって。でも花音は面倒見がいいからいやな顔せず頼まれてくれるんだよね、それでまた依存してく。あんまり生産的な関係じゃないのはわかってる。もらうばかりで私は役に立ってないんじゃないかって聞いたらね、いてくれるだけで良いなんて言ってくれるの。嬉しいんだけど甘えの引き金がまた増えて……の繰り返し」
 その饒舌っぷりもさることながら、話の内容に段々とついていけなくなっている自分がいた。恋愛経験は乏しいしあたしには他人への依存心が見事に皆無だからいまいちうまく掴めない。しかし、有紗の真摯な語り口には胸を打たれた。
「このままじゃ私一生自立できないんだろうと思う。それはまあいいとしてもね、花音に見放されたらって想像すると怖くて怖くて」
「あ、有紗さーん」
 いくらなんでもネガティブ過ぎやしないかと口を挟む。それにしても花音さんはよっぽどデキた女性のようだ。どこで出会ったのだろう、中学時代の同級生とかかな。
「えーと、それがさっき言ってた『難しさ』?」
「え?」と有紗は虚を衝かれたように口を開けた。「ああ、そのひとつではあるかな」
「というとほかにもあるんですね」
「……これは美和に言うことじゃないかもしれないけど、セックスがうまくいかなくて。下手なんだ私」
 どう反応したものか困ったけど、「ふーん。まあそういうのは相性とか色々あるしね」と無難な相づちを返しておく。
 電車は天王洲アイルに到着し、あたしたちの目的地までひと駅となった。有紗はなんだか浮かない顔を浮かべてしまっている。なんとか気を晴らしてあげなきゃ、と妙な義務感に促され励ましを述べた。
「でもさ、有紗が言ったのって全部想像じゃん、仮定の話じゃん。今はうまくいってるんでしょ? だったらわざわざ不幸先取りしちゃわなくていいと思うよ」
「どうもありがとう」と有紗は丁寧に頭を下げる。「いっぱい愚痴っちゃってごめんね。とりあえず誰かに聞いてもらいたくて」
「あたしでよければいつでも聞くよ。彼女さんとの恋も応援する」
 当然喜んでくれるだろうと思ったのだけど、意外や意外有紗は怯えたような身構えるような面持ちで息を呑んだ。 「本当? 本当に応援してくれる!?」
「も」有紗の勢いに少々気圧されつつ答える。「もちろん」
「美和は優しいね」とようやく相好を崩した。「うん、まだ若いし気長に考えよう。……あ、花音の写真見てくれる?」
「見る見る」
 きちんと話したのは今日がはじめてだけど、好意を抱くのに時間は関係ない。カチカチと携帯を操作する有紗の口角は微かに上がっていた。ひと安心だ。
「これが一番新しいやつ」
 画面を覗き混みあたしは硬直する。有紗が自分をからかっているのかと疑ってはみたものの、彼女はとても演技には見えぬ慈しみを込めた視線で液晶を見つめていた。
「――五年前から付き合ってるんだっけ?」
「そう。やっと折り返し学年だよって嬉しそうなの、最近」
 有紗はゆっくり首を動かし、相変わらず穏やかな視線であたしを貫く。どんな言葉を発すべきなのか全く見当がつかなくて、ただ曖昧に形だけで笑ってしまった。その表情はきっと――
「みんなと同じなんだね、美和ちゃんも結局は」
 そうだ彼女のもとを去っていったクラスメイトたちの無粋な困惑と、寸分たがわなかったのだろう。有紗は見切ったように携帯を閉じると冷たくため息を漏らした。
「あーあ。また期待外れだった」
 扉が開く。あたしたちは無言で駅のホームに降り立った。
 聞きたいことを話してくれるのが嬉しいのは世界の常識だ。そして、聞き終わったあと嬉しさが続くとは限らないのも同様に。
 折り返し学年ってことは四年生、か。
 「花音」という現代的なネーミングに感じていた引っ掛かりも、ランドセルを背負ったふたつ結びの少女を見たらキレイに消滅していった。それを遥かに上回る、巨大な違和感と引きかえに。


[10/04/05]
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