comical change


 数えるにも両手両足じゃ足りなくなって、おーっ、と私はすこしばかり感慨に耽った。ひとりベッドの上。2段ベッドの上の上。
 冬休みに始まった挑戦、4ヶ月で21人達成しました隊長。隊長なんていないけども。
 お気に入りの小説を手にごろりと寝転がる。至福の時間。咲に少年漫画をひとつ薦められてはいるけど、なんとなく柄じゃないなと思って未着手のままだった。バトルだの努力だの向いてない、我ながら。
 下から聞こえる規則的な寝息は、けだるい体を徐々にクリーンアップしてくれる。今日の相手はかなりキツかった。顔もスタイルも良いのに、体臭がすごい。なんなんだろうアレ。
 快楽が欲しいわけじゃなかった。愛に飢えてたとか、居場所が欲しかったみたいなうさんくさい理由でもないし。セックスはごくごくまれに気持ちいい時もあるけれど、10代の男のそれなんてたいがいは知識も経験も欠け、その上ばかな迷信にばかり乗っかって自分本意だ。楽しくも、ない


 クリスマスの翌日だった。眠りかけているところに苦しげな声が聞こえてくる。うっ、と呻きが漏れ息も切らしていたから、ルームメイトは体調でもわるいのかしらと2段ベッドの上から覗き込んだ。
 心配は水の泡、咲はただただオナニーしていただけだったのである。その行為に、シリアスだったりセンチメンタルだったりする感情を抱いても無理なかったはず。だけど単純な私は感傷なんてそっちのけ、とりあえず、欲情した。  確実に荒くなってく息に耳をそばだてる。ベッドがきしめば唾をのみ、たまに飛び出す声に身をよじらせた。聞いてるだけじゃ我慢ならなくなって、敷き布団をずらすとベッドの木の隙間から咲の媚態を視姦する。
 暗くてもよく見えなくても、衣擦れを起こしてうごめく思い人の陰は十分すぎるほど視覚を刺激した。気づけば当たり前のように自分の体に触れ始める。
 はぁっ、と大きな呼気がいくつも響いていた。咲の方のそれが加速度を増して増して、最後にかすかな喘ぎが聞こえる。咲が一気に下り坂に至ると、入れ替わりに私は上り詰めようとしていた。なのに。
「ユウスケ……」
 熱っぽい呟きに、あっけなく遮られる。


 あの瞬間の冷却速度は前代未聞だった。スッと体の疼きが消えた。
 「ユウスケ」が誰かなんて、知らないけど。それは大した問題ではない。1年間同室で、あとにもさきにもただ1回。咲がオナニーに及んだ理由は性欲処理だけでなく、ユウスケという男にもあったという事実が大切なのだ。
 高1女子に好きな男のひとりやふたりいることなんて珍しくもなんともない。そいつ(ら)をネタに妄想を膨らませようとなにしようと。理屈ではわかるのに、咲のこととなると私の頭は常識や論理なんて受け付けなかった。気持ちのままに動いてしまう。
 そうした結果の数字が、21人、だ。あの日から私が寝た、「ユウスケ」の数。


 筋道たてて動機を説明しろと言われてもキッパリ無理だ。割りきれることばかりでこの世が成り立っているなら、とっくにもっともっと要領を得た生活ができている。
 私は狂った。あの翌日から咲の背景には「ユウスケ」の4文字がこちらを脅かすように佇んでいる。消したい、その一心で私は100均の老眼鏡を掛けたり強い目薬をさしたり絶食したり、心底バカだけど色々試した。でもいっこうに消えないどころか、脅威のカタカナは日に日に色を濃くしていくのである。
 冬休みに入って、年末。男子寮の近くを通った私にそれは降りかかった。
「ユウスケは帰省するの?」
「いや、俺は残寮組」
 頭のなかで閃光がはぜる。古い漫画なら、きっと頭上に蛍光灯。
 記念すべきひとりめの相手、神谷祐輔は同学年の男子だった。私は彼が友人と別れたのを確認すると、走って追いかけ呼び止めた。
「ユウスケ君!」
 ビックリしたように振り返る彼に言い放つ。面倒な過程の説明なんてふっ飛ばして、単刀直入に。
「私とセックスして」
 数秒の間が空いたのち返ってきた「なんで?」、この疑問符に私は計画の順調な滑り出しを見てとった。


 咲に会ったのは入学式の前日、寮生の対面式である。1年同じ部屋でやっていく相手に緊張しきっていると、登場したのは「おハロー」とそれを粉々にまで打ち砕くゆるんだひとことだった。ポカンとする私の右肩に手を置いて、よろしくねっと咲は笑った。
 私はたぶん同性愛者で、中学時代に味わった親友への恋の辛酸を反省材料に、二度と校内で片思いはしないと決意していた。
 8畳ひと間の私たちの部屋はそれなりにきれいに整頓され、咲の好きな漫画がずらりと並ぶ快適な空間になっている。咲は若干オタクが入っていて、わざわざ家から寮宛てに郵送したらしい。曰く、だって読まなきゃ生きてけないもん。
 5月の中頃。初夏の暑さにやられて帰ってくると、台所でアイスを食べる咲と目があった。
「お帰り美和ちゃん」
「ただいま。私も食べるー」
 ふらふらと歩み寄って冷蔵庫を開ける。いつまでもアイスを見つけられないでいると、咲が申し訳なさそうに口にした。
「ごめん、これで最後なの」
「あ、なんだ。いいよいいよ、売店行ってくる」
「だめ」
 は? と思うと咲は走って部屋を飛び出した。何が起こったのかわからずぼんやり突っ立っていると数分後、私の好きなガリガリ君グレープ味をかかえて帰ってくる。汗だくだった。
 なにもそれでオチたってわけじゃない。ただ咲はそういう子だって説明。言葉少なに、優しい。私は咲と過ごす時間を常に待ち焦がれている。微笑みと気遣いと「美和ちゃん」の3拍子はオアシスだ。
 二度と校内で片思いはしないと決意していた。どんなに屈強な決意も無駄と化すのが、恋の厄介なところであった。


 なんでもしてあげる、その代わり他言無用・たとえフェラのときでもゴムは必須、というのが私の交換条件である。2回だけどうしてもと顔に出されたけど、口は固く閉じてすぐにティッシュで拭い、洗面所で洗い流した。深夜ラジオで培われたSTDについての知識、まさか活きる日がこんなにも早く来るとは。
 それから私は挿入されている最中に、決まって相手の名前を連呼する。名前、とはもちろんユウスケ。彼らの漢字は聞いていたけど、私が呼ぶのは定まらないユウスケだった。ユウスケ、ユウスケ、ユウスケ。骨伝導で響く己の声に酔い、ユウスケを支配しているなんて錯覚に酔った。
 咲がいつかこの男と関係を持つかもしれない。いつだってその懸念が、一番前にある。それは期待も一点混じった感覚で、私はいつどこでこんなに歪んだのだろう、と呆れた。でも考えてしまうのだ、咲がこのユウスケと関係を持てば文字は消えるのかな、と。あるいはその逆か。
 年が明けて実家から帰ってきた咲と対峙すると、もう背後の4文字はなくなっていた。私はこっそり喜びに浸り、咲とお正月の話題なんかに興じた。咲は、私をいたって健全な女子高生にしてくれる。


 だけど邪魔のない景色に生きられたのも束の間、7日もすると再びユウスケの文字が輪郭をあらわしはじめ、9日目にはもう目眩を誘発した。
 私はすぐさま、事務室で全校の「ユウスケ」を調べあげた。
 彼らの効力は期限つきなのである。したがって定期的に摂取せねばならなかった。しかも耐性ができるのか、回を増すごとに期限はわずかではあるが縮み、同じ「ユウスケ」のセックスでは効力が弱まった。さりとて麻薬である。
 さすがサカりっぱなしの高校生男子、誘いを断られたことはない。彼女持ちらしいユウスケさえ、彼女には頼めない行為を強要できる、と嬉しそうに承諾した。
 校内の7人をすべてこなすと、私は出会い系サイトやチャットでユウスケ探しを始めることになる。彼らのほとんどは偽名だから、私は交換条件に「本名を明かさない」というのを追加した。
 せめて咲の好きな相手が、もっと奇抜な名前なら。それこそ少年漫画の主人公にでもいそうな珍しいネーミングだったら、私はそのひとりだけを服用していればよかったのに。ユウスケなんて平凡もいいとこ。
 ネットでの出会いだ、危険を恐れることもある。だけど麻薬常用者に危険だからなんて説得、通用するわけがない。


 目を覚ますと、もう日が傾いていた。体をひねり時計を見る。15時48分。そうだ、昨日は臭いユウスケと新宿のカラオケでやって帰ってきたんだっけ。せめてホテル代くらい出してくれよ、と今更。
「美和ちゃん寝坊しすぎ」
 咲はカラフルなパッケージのジュースをすすっていた。あたしも昼寝しよっかな、とストローを抜く。
「たまには上行かせて」
 軽度の高所恐怖症だから、と言われ決まった上下なのだけど。咲は梯子をさっさと登り私の枕元に座り込んだ。この角度だと下着までしっかり見えてしまう。パンチラに食指が動く性格じゃなくてよかった、なんて。
「おやすみ」
 そう言って体を起こそうとすると、咲の両手に押し返された。
「行かないで。美和ちゃんと話したいことがあるの」
 口の中が唾で溢れ返る。咲は神妙な面持ちで、でもうまく軽々しさを装って私の隣に寝転がった。
 なんだろう話って。なんだろうなんだろうなんだろう。私をしっかり見据える瞳は、ゆっくりと喋り出す。
「あのね、噂で聞いたんだけど、美和ちゃんがいろんな男子と、その、付き合ってるって」
 揺るぎない視線。それはおそらく、瞬時にその噂の真偽を悟ったのだろう。悲しそうに口を歪めた。
「なんで?」
「なんでって。そうしたいから。ダメ?」
「その聞き方はずるいよ。ダメなんてあたしが言えるわけない」
 あながちそうでもないよ、むしろ咲くらいしかその言葉に意味を持たせられる人はいない。
 もちろん、言わないけど。


「ダメとは言えない。でも、嫌だ」
 咲は涙目になって私のTシャツにすがり付いた。布2枚はさんで咲の感触。
「友達が。親友が体の安売りみたいなことして、あたしはやだよ。美和ちゃんにはちゃんと」
「……ちゃんと?」
「ちゃんと人を好きになって、ちゃんと告白して段階踏んで、ちゃんと付き合ってほしい」
 とくとくと、咲はこちらに言葉を投げ掛けてくる。たくさんの矛盾ややるせなさをはらんだ言葉を。咲が一生懸命紡いでくれてるとわかっても、私はそれらに産み落とされるアンビバレンスと闘うので精一杯だった。
「嫌だ、ねー。咲は私が嫌いか」
「ばか。好きだから言ってんじゃん」
 咲が即座に反論して、私はその返事を引き出すために今の質問をしたのだと気づく。本当に、ばかだ。
「美和ちゃんが好きだから」
 じわりと熱さができた。咲が、胸に顔を埋めて泣いている。美和ちゃん、美和ちゃん、と訴えながら。咲の細々とした口調は、あの日の「ユウスケ」とおなじで。涙とか震える肩とか隣から忍び寄るあたたかさも加わり、私の中で化学変化が起こった。
 あの4文字が、目の前に浮遊する。
「私がそういうこと始めたの、咲がオナニーしたからだよ」
 凍りついてく部屋の空気が解かれることは、きっともうない。


「なんでよ」
 真っ赤な顔。咲に睨まれたのなんて初めてだ。
「関係ないじゃん、そんなの」
「ある。私は咲が好きなの」
 できるだけ淡々と言うと、咲はがくっと力を失い私に寄りかかる。自殺行為だとわかってやっているのだろうか。
「気持ち悪い」
 ――ほらね、片思いなんてすべきじゃなかった。
 ユウスケの文字が私にけしかける。この子を犯してしまえば。それは私にとって大変魅力的な誘惑だった。咲自身とセックスしたら、きれいさっぱりユウスケの呪縛から解き放たれるかもしれない。その案はなぜか、確信じみていて。
 放心する咲の顎をつかみ、なにも考えずにキスした。関係は破綻の覚悟で、どうなってもいいってヤケになってる。咲は脚をばたつかせて抵抗したけど、体力じゃ私が勝った。
 Tシャツもスカートも下着も脱がし、恐怖ですくむ咲の自由は奪えるけど。私は咲を犯せなかった。ユウスケばかりを追って、女との作法を知らなかった。
 私は咲を犯さなかった。犯さずにすんだ。類稀なショックを植え付けてはしまっただろうけど。


 目も合わさないまま春休みが過ぎ、部屋がえの季節がきて咲とは離ればなれになった。なれた、というのが正しいだろうか。
 だけどあの一件以来、私の網膜には咲という媒介が存在せずとも「ユウスケ」の文字が恒常的に映っている。それらはぐにゃりぐにゃりと形を色を大きさを変え、私の前に迫りくる。必然的に、抗生物質を求めた。
 ユウスケは面白いほど簡単に見つかる。女子高生というブランドの貴重さを知った。同時に、それを失ったとき私は今のように頻繁にユウスケを摂取できるのか、そもそもそんな未来まで縛り付けられるのだろうかと心配にもなった。
 当の咲のなごりといえば、借りっぱなしにしていた漫画1冊だけ。返す機会は来ないのだろう。自分で撒いた種なのに、そんな権利はどこにもないのに、寂しくなった。
 愚の骨頂だ。咲はなにも悪くなくて、あのまま黙っていればよかっただけで、片思いなんてすべきじゃなくて、微塵もつじつまの合わない衝動で台無しにした。いつになったら賢い人間になれるのだろうか。
 咲といるときは開く気にもならなかったそれを、いつのまにか手に取っている。咲の軽妙さが甦りそうな明るい絵。今頃なに残骸をかき集めようとしているのか。馬鹿馬鹿しい、と嘲りながらも表紙を開いた。ここの話がいちばん、と貸してくれた11巻。


 人物紹介ページを見て心臓が跳ね上がった。私の数々の行いはすべて、すべてが無意味だったのだ。自分にとっても、客観視しても。
 ひとりもいなかった漢字だし。
 その漫画の主人公の名前は「侑助」だった。
 視界が晴れる。


[10/03/20]
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