絶対零度の太陽
20バイトにも満たないメールいっぽんで、深夜の極寒を歩いている。鍋の材料持ってきて――無駄がない点だけは買おう。彼女に都合のいいパシり扱いされているような気分は、否めないが。
おまけに、マンションの裏で待機していたらしい鳥肌立たせた露出狂にも遭遇した。2メートル離れていながら鳥肌まで確認できてしまう視力は、時々憎い。この寒いのに元気だなあ、となかば本気で感動しながら通りすぎると、そいつは存外良い声で言い放つ。
「××××してるの?」
バカか。しかし声だけかっこいいとはもったいない。意識的に顔は見なかったから年齢は分からないけど、10代、それも同じ高校生に聞こえてならなかった。予想があたっていれば、嫌な体験をしたものだ。
無反応を貫き角を曲がると、後をつけてくる気配はない。YESとNO、どちらを期待していたんだろう。
交通量が多いため日中は使用を余儀なくされる歩道橋も、今は渡る必要がなくて少しだけ得意になった。携帯を開くと眩しさにほんのり酔う。液晶の時計は、11時49分を華やかに示していた。いつの間にか――正確には昨日つぐみの部屋にいた数時間のどこかで――勝手に設定された待受画面。日替わりで花が表示されるらしい。植物の名前なんてサクラとチューリップくらいしか知らない。
コンビニのまばゆい光に溶け込むと、大掃除で見つけた電灯の中の虫の死骸が蘇る。自動ドアをくぐれば昼間と変わらぬ愛想があり、感覚がぐらついた。氷点下で凝っていた体の芯がゆるむ。さすがに今日は立ち読みの客もいないようで、あの女の店員は客に襲われでもしたらどうするんだろうか。裏で仮眠中の仲間に望みを繋いでいるのだとしたら、愚かだと思う。
青ネギと卵、アイス2パックをカゴに入れレジへ向かう。よく考えたら、鍋には必ずしもいらないものばかりだった。だけどつぐみが薬味中毒であることや鍋の締めにおいて雑炊派であること、さらに食後、ハーゲンダッツのドルチェを定価以上に喜ぶことを知っている。
見返りは、欲しい。いくらきれいごとの必然性を知っても、現金な性格は一生変わらないのだ。
「1178円になります」
家を出て2番目に聞いたのは、印象にのこらない凡庸な接客。財布からお札を抜き出し、お団子のミニスカートを押し倒すなんてことはもちろん、しない。
「ありがとうございました」
お釣りはポケットに無造作に入れ、帰路(つぐみの家への)を急いだ。買ったばかりのブーツはなのに怖いほど足に馴染み、軽快なテンポで進路を確実なものとしてくれる。無意識下のぬかるみを覚醒させそうな街灯の明りから小走りに脱出し、目的の建物へたどり着いた。
正面玄関を横目に、庭へ回る。買い物袋を両腕で背負い、洗濯竿に立て掛けられている至ってシンプルなはしごを手に取った。己の息が、白く悪戯をせきたてて。
11時58分。つぐみの家のはしごがこの青にモデルチェンジしてからもう半年だから、30秒もあれば充分だろう。中途半端な余白を与えられ、手持ちぶさたになる。顔を上げると窓越しに、カーテンの隙間からもじれったさが漏れていた。59分、秒針はきっちり90度うごいている。
はしごをベランダに軽く打ち付けて、合図。かじかむ手を固定した4段下に足をグッと掛け、力任せに上へ移動する。この状況を誰かに目撃されたら一大事かな、と空想しつつ、順調に8段をのぼりきってベランダに飛び降り、はしごを上から操ってもとの場所に戻した。証拠隠滅。隣の家の愉快なカウントダウンで時間を調整しながら、ガラスをノックする。鍵が解かれた。
窓とカーテンを同時に引き、背中から外したビニールを部屋に投げ入れる。続いてブーツを脱ぎ捨て、暖房の利いた天国に身を投じた。
「あけましておめでとう」
つぐみはハーゲンダッツからこちらに視線をうつすと、きらきらした表情で抱きついてくる。柔らかい温度、あたらしい笑顔。1年かけて堆積した濁りの数々が昇華し、頭からつま先までかるくなった。口角が上がる。次の句を待ち焦がれる。つぐみは上目遣いの甘い調子で瞳を射た。
「2010年も愛してるよ。だからこのドルチェ、クッキー&クリームに替えてきてくれる?」
答えを待たない疑問符が潔い。
たまらなくその語尾にキスしたい衝動から目を逸らし、踵を返した。セブンイレブンのお姉さんにもういちど会いに行こう。去年最後の客であり、今年最初の客になる。きっとつぐみの粋なはからい。変な顔されたって、堂々と返品してみせる。
律儀にレシートをもらっておいてよかった。
[09/12/31]
前
□
次
09年もありがとうございました!