スターガールズ・バックス


 わたしはたぶん、いたって普通の中学生だ。少女マンガの主人公にでもなれそうな(withoutうれしはずかしハプニング)、凡庸の座に甘んじている14歳だ。外からも無個性に見えるらしく、小さいころにはよくモテた。
 しかし物語というのは往々にして、平凡や日常の崩壊から始まる。
「山岸さん、相談してもいい? いま私作りたいものがあってね」
 疑問系にしておきながら答えを待たず、大森つぐみは早口でまくし立てた。なに、と相槌ていどに目を合わす。
「新婚さんサイン」
「はぁ」
「どんなのがいいと思う?」
 我にかえった。聞き流していたけど、新婚さんサインとはなんぞや。新でも婚でもないのに。
「ベッドサインかな、言い換えると」
「なにそれ、造」
 語?の語尾は消え、訳知りがおのため息へ移る。最近のわたしは余計な鋭さばかりを培っていた。
「いつの間にヤったんだ?」
「ううん、まだ処女だけど」
 教室のど真ん中でこんな会話もどうかと思う。しかしつぐみちゃんというのはは強敵で、こちらがどんなに遠慮をしてもお構いなし、ストレートな言葉でもってまわりを凍りつかせるのだ。ようするに天然。
 それに、オブラートに包んだ表現は理解されない。だから最初からあきらめて話す。ムダは嫌いだ。
「だからこそ必要なのよ」
「と言うと?」
 聞き返すと、つぐみちゃんは難しい顔をして黙り込む。柳原可奈子のモノマネのつもりだったけど、伝わっていないらしい。わたしにはユーモアセンスがない。
「なかなか手を出してくれないんだな」
 暫しの沈黙のあと、つぐみちゃんは頬杖をついた。
「へー、ガツガツしてそうなのにね。意外」
「でしょ? 恥ずかしがってるのか興味ないのか……だからね、こっちからそれとなくウェルカム出して様子を見たいの」
 そう語る瞳は、真剣。わたしはそれに応えられない。
「なるほど。じゃ、がんばってくれたまえ」
「協力してよー」
 プリーツスカートの襞を引かれる。わたしがどう協力できると言うのだ。妙な入れ知恵などお断りである。
 見る角度を変えてみるんです、そうすれば答えに辿り着く道がひとつ増える。――小3のころの、名前はたしか佐々木先生。算数を教わった。舌っ足らずな調子が可愛らしくて、なごんでいる間に授業が終わる、そんな45分間。
「ってか、打開策なら明快なのがあるじゃん」
「なに?」
「つぐみちゃんが里崎を押し倒しちゃえばいい」
 悩める少女はまばたきをしてなにか言い掛け、しかしその言葉を飲み込んだように口を閉じる。そして目を輝かせた。
「ありっちゃあ、ありやな!」
 あ。どうやらさっきのくだらないギャグもしっかりキャッチして下さっていたらしい。ありがたいこった。


 チュートリアルだったかなあ、あのネタは。山岸さんは感覚は良いのだけどタイミングがいまひとつだと思う。
 でもアドバイスはありがたかった。なにも向こうからにこだわらなくていいのである。待つ女なんてもう、古い。
 告白してきたのはひなたの方だし外見もボーイッシュだから、‘Butch’なのだと勝手に決めつけていた。固定観念っておそろしい。私も元来‘Femme’ってタチじゃないのに。
 今日の塾は英語3時間だったけど、頭に入ったことと言えば、分詞構文の‘Walking with my girl’くらい。1階下のひなたのクラスの前で待ち伏せる。このところ私はこちらの教室で、押し掛け女房と渾名されているらしい。たいへん名誉に思う。
 授業が終わったらしく、冴えないネズミ色スーツの先生に続いてばかな(誉め言葉の方)男子5人組、そして見慣れても見飽きないショートカットが扉から現れた。
「おつかれさま」
 ひなたの顔に浮かんだ驚きは、それこそ驚くべき早さで恒常にきりかわる。
「また待っててくれたんだ」
 聞かなくていいようなことを、ひなたは聞く。答えを求められていなければ、齟齬も慈しめるものだ。
「おでん食べて帰ろっ」
 微笑みながら腕を抱き寄せる。このひとの中でいっちばんかわいい自信が、ある。
「また白滝?」
「うん。きょうはリッチにつみれも入れちゃう」
「あたしあれ食べたい、ちくわぶ」
「えー、あんなのただの小麦よ?」
 意味のない馴れ合いを、半永久的に。意味のないところがもっとも有意義なんだ。ありふれた逆接にさえ、私は後押しされている。いつも。
 塾を出て、冷たい風の中に肩を並べる。おでんの話はとりあえず忘れたフリをして駅へ急いだ。ひなたはこういうとき、絶対に指摘しない。黙ってなすほうへついてきてくれる。私がなにか画策していることに、しっかり気付きながら。
――ああそうだ、このひとに積極性はない。
 人間関係において徹底的に受身だし、自分の主観だけで行動することのない慎重派。人の意見にはまず逆らわず、感情は表に出さない。内面、ものすごく頑固。
 なにより10年も黙って片想いを続けていた前科の持ち主だ。
 こういう性格だからこそ、主義主張の強い私とバランスが取れているわけだけど。
 各停でひと駅揺られ、改札を通るとひなたは冷静な瞳で口を開いた。
「おでん食べるって言ってたけど、いいの?」
「あ、そうだった。セブンイレブンで買ってこ。うちで食べてってよ」
「家お邪魔して大丈夫?」
 大歓迎、と両腕の力を強める。今年は去年より寒くない。先日ひなたにもそう告げたら、「なんで?」と真顔で返された。変化球はきかないらしい。だからど直球で解説すると、赤くなって目を逸らされる。かわいいな、って、きっと去年まではひなた側にあった感情なのだろう。いつの間にかこちらに移ってきていた。ひなたはかわいい。いまだに自分に無理言って憧憬も何もない男性性を手にしようとする、その足掻き方もかわいくてたまらない。私の「かわいい」はわりとその相手を、人間扱いしていなくて酷だと我ながら思う。


 つぐみの部屋でがんもどきと大根を食べた。大森一家は早寝らしく、家全体がしんとしている。しかも厳しいので、あたしは玄関ではなく2階の窓から侵入。今までも何度かやったけど、深夜は初めてだったのでちょっと緊張した。
「あー、やっぱ白滝のぷちぷち感最高」
 あたしはいくらとか数の子とか嫌いなタイプで、つぐみのこの感動にも共鳴できない。だけど幸せそうにプラスチックのカップを握る姿がかわいいから、おでんの買い食いは好きだ。
 最後の一口を飲み込む。ごちそうさま、と手を合わせ容器をテーブルに置くと、つぐみがあたしを手招いた。
「ちょっとお話」
 疑問系の顔で、つぐみが座るベッドに腰を下ろす。なんだろうと思って目を合わせた瞬間、つぐみが胸に凭れ掛かってきた。喉に、息苦しさがこみ上げる。良性の。
「な、なに」
 返事はなかった。――言葉では。唇を、熱をはらんだ柔らかさで探られる。じりじりと奥に波紋が広がる。くちのなかに未知の力が加わって、衝撃は涙と吐息になり情けなく零れた。
「ひなた、すごい顔」
 つぐみは笑ってあたしの肩をシーツに押し付ける。それから、首筋にも舌を這わせる。目の前の知己がなにを考えているのかわからなくって、でも嬉しくなくはなくて(つまり嬉しい)、混乱しきったあたしは微動だにできなかった。
「ごめんね、2度も待たせちゃったね」
 何を? って聞きたかったけどそんな余裕もない。あっという間に、イーストボーイのカーディガンが剥ぎ取られる。ここは夢か。事実、なんども夢想した。この時を。くりかえしくりかえし。罪悪感を帯びながら過ごした時間たちが、免罪符により救われていった。だけど。
「……やめてっ」
 必死な悲鳴で手を払いのけると、つぐみは悲しそうにあたしを見た。そんな目をしないで欲しいのに。
「ごめん」
「違う。た、立場的に逆っていうか……」
 恥ずかしいことを、恥ずかしい言葉のそのまま。1秒後、あっけなくくずされていく。
「くだらないことにこだわってないで。好き合ってればそれでいいじゃん?」
「でも、もう帰らないと」
「それだけ本気なの」
 筋が通ってない! と心の中で怒号をあげたけど、もう遅かった。いや、たとえ猶予があっても結果は見えていた。つぐみの手つきに迷いは、不自然なほどなくて。あたしはみるみる懐柔されていく。遠慮も自粛もなく反射のまま動物の声を上げ、彼女に縋り付いた。色を濃くしていく闇はもう、あたしを引き止める口実になりえない。携帯がたくさん鳴っていたけど無視した。言い訳なんてあとで作ればいいと、夢中の頭で考える。そうだ、言い訳の上手いつぐみにこしらえてもらおう。対価という名目で。
「ひとの肌って、気持ちいいね」
 ちょっとだけ客観視した言葉が、とどめをさした。脳が攪拌されてそれからぎゅーっと締め付けられて、解放の道へ。つぐみは隣に寝転がり、持て余されたあたしの力を受け止めている。愛おしさや幸福、感情が付随するのかと夢見ていたけど、あるのはただ物理的な快楽だった。
 コタツに入っておでんを食べていたら、疲れもあってつい眠ってしまった――という言い訳になった。つぐみにしては失敗作で、あたしはちょっとほっとする。余裕綽々は、悔しすぎる。


[09/12/31]
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