いらないフリ
パンプスのリボンに普遍と絶望を感じながら、あたしは敵を出迎えた。
「遅れてごめん。待った?」
「ううん、今来たとこ」
微笑みながら。ってなんてチープな三問芝居! 歪み出しそうになる顔に愛想を貼り付け、歩調を揃える。行き先は映画館らしい。苦行スイッチON。
ニヤニヤとあたしを見る早苗の目が、何度も何度も頭のスクリーンに再生された。話は昨夜にさかのぼる。
「凌のこと気に入ってる男子がいるの」
「うん?」
「もう手配しちゃったから明日デート行ってきて」
「……は」
聞かされたのは名前と待ち合わせの場所時間。たったそれだけ。理由とか相手の素性とか、知りたい情報はなにひとつなかった。世界一エキセントリックなピロートーク。
自分の彼女を他の男とデートに行かせる心境っていかがなもんだ?
「本田さんって」
「はいっ」
割り込んできた男(川元嵐というらしい)の声で我に帰る。隣の誰かと目を合わせるのに上を向くって慣れない。
「普段どういうとこで遊ぶの?」
あたしとは対照的に輝いた瞳が返事を待っていた。
「んー、学校が井の頭線沿いだから渋谷とか下北沢とか……川元くん、は?」
他人行儀で媚びたことば。世の女子はすごい。こんな下らない努力を惜しみなくしてるんだから表彰モノだ。
「俺は中野が多いかな。東中野の男子校だから」
そう言って川元は高校名を挙げ、知っているかと尋ねてくる。こういうシチュエーションで満点の答えとは。
「名前聞いたことある。偏差値高いとこでしょ、頭いいんだね」
「や、まあ滑り込みなんだけど」
とはいいながらも勝ち誇ったように口角を上げた。ああ気持ち悪い。なんでサービス精神で対応してやってるんだ。
持てあましているらしい右手が空をさまよっていたけど、もちろん無視した。ご機嫌窺いといいいつもの自分を見ているようで恥ずかしい。これが早苗の狙いか、という読みはあまりにもぬるすぎたと後に気づくこととなる。
「早苗とはどういう関係なの?」
らしくない語尾の上げかた。口に出してから緊張し始めた。答えによっては凹みそうだ。
「俺が文化祭行って知り合ったんだ。で、携帯のプリクラに写ってた娘が超好みだったから紹介してって頼んじゃった」
はにかみを向けられパニックにおちいる。どう反応すればいいのかわからなくて、とりあえず礼を言っておいた。
「本田さん、プリクラじゃボーイッシュな感じだったから今日のカッコが新鮮っつーか……」
濁された続きも手に取るようにわかる。その一言にかかる勇気が、どれだけ重いかも。どうやら川元はいいひとらしい。最もタチが悪いケースだ、この場合。
「……かわいいっつーか」
ブローされた髪に白のAラインワンピース、「清楚な」メイク。なにからなにまで早苗監修だ。恋人がやってくれたのよ、とお上品に告げたらこいつはどんな表情をするだろう。
「ありがとう」
想像は想像にとどめ、あたしは求められる女の子像にしたがった。デートという現在の状況下で川元があたしに望んでいるものは、たぶんすべて脳内リストにあるだろう。愚かさも必死さも、自己擁護されたそれらの尊さも。
初々しい高校生カップルの会話(擬)とともにドトールで昼食を終えると、向かいのビルにあるという映画館へ歩いた。なにを見るのと聞くとラブストーリーとだけ返される。この時点であたしはだいぶ川元と打ち解けていたから、
「直球だね」
なんて言って彼を困らせることもできた。同時に、良心がきりきりと痛む。このデートが終わったあと、事情を話して友達になってと川元に頼むのは酷だろうか。そんなことを考えるくらいあたしはこの男を気に入っていた。人間として。
「あ、ここだ」
エレベーターで五階に着くと、川元はすぐに四番シアターと書かれた扉をくぐろうとしたので、あたしは呼び止めてチケットはいいのかと問うた。
「あ、無料券があるんだ。貰い物だから気にしないで」
「……ありがとう」
彼がわざわざチケットセンターへ買いにはしる姿を想像して頭が下がる。<映画一本無料>と記された紙切れをうけとり受付を通った。こぢんまりとした館内にはぽつりぽつりと年配の男性客がいる程度で、あまり繁盛しているわけではないらしい。川元はどうしてここを選んだのだろうか。疑問に思ったけど、デートコースについて詮索するのはタブーな気がするので黙っておいた。
席について、10分。映画が始まった。20分、あたしたちは固まった。
紛うことなき、ポルノ映画、だった。
右に視線をやると、川元は真っ赤な顔でとまどっている。不測の事態だと物語るその様子にあるわるい予感が胸をもたげたけど、まさかと否定した。そんなバカなことはあるまい、と。だけど映画はスワッピングものである。
考えることに疲れ、あたしは鑑賞をはじめた。なにが面白いのかわからないし女優はちっとも気持ちよくなさそうだし退屈だったけど、川元はときどき小さな喘ぎ声や息を漏らしながら股間をおさえている。トイレに行けばいいのに、と他人ごとのように眺めるあたしも、TPOをわきまえようかしらなどと限りなくTPOに不似合いな思考から12時間前の早苗を描き出そうと試みた。試みたがしかし、さすがにここでオナニーする気にもなれない。いつ川元の手が伸びてくるかと冷や冷やしながら、画面上の男性器をぼんやり眺めイチゴミルクを啜っていた。川元は館内にいる間、あたしに指一本さえ触れてこなかった。
黙って館内を出て黙ってエスカレーターで下った。あたしは気まずくならないよう笑いとばそしてしまおうと考えていたのだけど、川元の落ち込み具合が予想の遥か上をいっていたので気が退ける。彼はふらふらとエントランスのベンチに座り込んだ。あたしもとなりに腰をおろす。
「……ごめん」
泣きそうな顔で神妙な一言。ヤバいのはわかるが泣くほどのことだろうか。今時あんなちゃちな映画でショックを受ける女子もいないと思うのだが。世の男の認識なんてそんなもんなのか、あたしの常識が曲がっているのか。後者だとしたら9割は早苗のせいだ。
あたしの無言をネガティブ意味にとらえたらしく、川元はごめんねごめんねと謝りたおしてきた。
「せっかく来てもらったのに、不快な思いさせちゃって」
「あ、ううん気にしないで」
「俺のこと軽蔑したでしょ」
「そんなことないよ」
いつ以来だろうにっこり可愛らしく笑って顔を覗き込むと、彼はじっとあたしの眼を見てまた言った。ほんとにごめん。
「そんなに謝らないで。ヘタな感動長編よりある意味楽しめたし、別にあたし全然嫌な気分でもないし」
冗談めかしたのだけど、川元は驚いたようすでまばたきを数回。
「女子でもそういうこと言う人いるんだ」
「まあ高校生ですし……川元くん女兄弟いないでしょ」
「その通り」
「やっぱり。女子の幻想壊しちゃったならごめんね」
足を組み換えつつ詫びると、川元はハッとしたように顔を上げた。
「そんなことない。どころか本田さんのこと余計気に入った」
あれ。事態はよろしくない方向に向かっているらしい。
「……ちょっと外出て休まない? 噴水があるカフェが近いんだけど」
中途半端に混雑したそのカフェで窓際の2人席をとり、抹茶ラテを注文するとトイレに立った。そしてトイレから帰ってくると、目を疑いたくなる光景が広がっていた。
川元と早苗が口論している。
「なにやってんの、早苗……」
「あ」と早苗は明るい声で言った。「凌! 映画楽しめた?」
ピンクの、花柄のワンピースを翻らせて。最悪な予想が現実のものであったと悟り、あたしは泣きそうになる。早苗はめざとく察知していたずらっぽい笑みを向けてきた。
「……なあ、どういうこと?」
ひとり謎の渦中にいる川元が蚊の泣くような声で聞く。あのね、と最高にキュートな早苗の前置き。
肩をつかまれ、唇に早苗のそれが触れる。歯を舐められて、さっきの映画のワンシーンがよみがえる。ひとりの男の命令で、女優同士が汚いキスをする場面。
「こういうこと。映画はお気に召したみたいでよかったわ。ばいばいっ」
ぼうぜんと立ち尽くす川元。早苗にとられた右手。足は彼女の方向へ動き出していた。
「……あの映画って」
「あ、私が選んだの。グッドチョイスでしょ?」
川元の潤んだ瞳と忙しく動く右手、エンドロールと同時にトイレに立っていった丸い背中。早苗の一言ですべてが無下になる。
無言で立ち去るとか顔にビンタをくらわせるとか大声で怒鳴り付けるとか、怒りの表現はいくらでも思い付いたけど、どれも決め手に欠けた。もっとひどい仕打ちを、あたしは知っている。
「早苗、ごめん」
「なに、しおらしく」
「あたし、川元のこと好きになっちゃった」
誕生日にあげたCOCCUのクラッチバックが、早苗の手から滑り落ちた。急速に空気が冷えていく。きっと早苗の世界は色を失っている。
最愛の女を残しあたしは道を引き返した。
川元はテーブルに肘をついてうつむいている。名前を呼ぶと、涙目であたしを見た。
「ごめんなさい」
「……意味わかんない」
「本当にごめんなさい」
あたしはできる限り頭を下げて、謝った。謝っているつもりだった、少なくとも。
「俺、怒るべきなんだろうな」
諦めたような口調と。
「いくらでも怒って」
「でも」
優しい目線が降り注いでいる。何に裏打ちされた優しさか、あたしにはすぐ理解できた。
「本気で好きになっちゃったんだ、本田さんのこと。なんかもー怒れないや」
ああ、なんて不幸なんだろうこの人は。女の子なら世の中に星の数ほどいるのに、よりによって早苗みたいなのに当たってしまって。心底同情する。言葉通りなら自分にも返ってくる同情。
「……なおさらごめん」
「あー、惜しいなあ。まさかソッチの人だったとは」
「ごめんね」
差別的な響きを指摘できる立場でもない。今日は謝罪ばかりだ。
「早苗にも謝りに行かせるから。本当に、申し訳ありませんでした」
支払いに1000円札を一枚置いて、あたしは立ち去った。カタをつけなきゃならない問題がまだのこっている。
川元は椅子に座り直してコーヒーをかき混ぜていた。がんっ、と怒りをはらんだ音がする。早苗は私を共犯者に仕立てあげたかったのだろうか?
だとしたら、いまさらだけど効果は抜群だった。と、思う。
図られたことも騙されたことも嵌められたことも数えきれないほどある。うんざりしながらも本当は彼女のそんなところが嫌いじゃなかったし、内心(語弊はあるけども)そういうプレイとして面白がってもいた。だけど。いくらなんでも今回のはゆるせない。……許してしまうことになるのが目に見えていても。
道を引き返して数分、ぎょっとした。早苗はさっきの場所で、つまり歩道のど真ん中で、すわりこんで肩をふるわせている。あたしは背後から歩み寄って、風化された名前を呼んだ。
「とりあえず立ちなよ」
「どっかいって」
早苗はあたしの言う通り立ち上がると、振り返って怒鳴り散らす。あまりの剣幕に気圧されているあたしの首を右手が掴んだ。
「ここからいなくなって。……くれないなら」
わずかに力が強められる。シャレにならん。
「早苗のその危険思想はほどほどにしとくべきだとおもう」
「だれのせいよ」
「殺しますかあたしを。まあ好きにすればいい、そのあとたえられるならね」
薄笑いを浮かべて慣れない演技に身を投じ、ふと閃く。
(あたし今、うわてに立ってる)
まばたきの次に嵐が起きても不思議じゃなかった。あろうことか早苗をしのいだ場所に、いる。
「凌、ひどい」
か細い訴えはちくりちくりと膚を刺した。焦がれた場所はあまり快適じゃない。
「いちばんひどいのは自分でしょう」
「……なにその口調。きもちわるい!」
涙は容赦も遠慮もなく流れていた。困惑と勝ち誇ったあたしの顔をうつして。
「早苗はあたしの女性性がきらい?」
憧れが現実になることを、度がすぎた非日常を求めることは危険である。
違う、の返事はなかった。
「女性性うんぬんじゃなくて、らしくない凌が、嫌い」
首の苦痛はそろそろとやわらいでいく。早苗の詭弁なんて、いまだかつて聞いたことがなかったのに。
きづくと椋鳥の群れが頭上に鳴いている。夕やけ小やけのメロディは境界にたたずむ街を無理やり夜に追い込もうとしていた。
視線で早苗を促し、近くの児童公園のベンチにふたりで腰かける。人目も憚らずに泣きじゃくる、おさない精神にはもってこいの舞台と言えよう。
「いやみ?」
しばらくの間両手で顔を覆っていた早苗が、涙まじりに呟いた。往々にして主語や目的語をもたない、言葉足らずが彼女の美学。
「なにが?」
らしいのだけど、あたしにはいまいち理解できなかったりする。日常で齟齬が生じなくてもこういう場面では不便かもしれない。
「ここ、私が凌に惚れた場所だもん」
知らねえ。
しかしながら衝撃の事実は、強張ったあたしの構えをかるくぐらつかせた。駄目だ、上目遣いだの泣き落としだのそんなやすい罠にかかってやるものか。と今日ばかりは強気。
「他意はないです。少しは反省した?」
「なにを反省しろっていうの?」
ある意味、期待を裏切らないものいいである。
「そこまで言うってことはあの男子になんか恨みでもあるわけ?」
「べつになにもないけど。恨みはないけど、死んでほしい」
16の戯れ言にするには、真実味を帯びすぎていた。
「どうし」て。
「凌を奪っていくなんて……」
16の戯れ言にするには、真実味を帯びすぎていた。
冷たい風に、去年は感謝した。距離を縮める口実に。
「寒っ」
早苗は身を竦め瞼を伏せる。あたしに寄りかかろうとはせず。
「謝ってきて」
「やだ」
露ほども聞き入れない態度にとうとう堪忍袋の緒がきれた。小さくかました舌打ちに、早苗は恐れの色を見せる。
「あの川元って男子が今日、どれだけ傷付いたと思ってる?」
「どうでもいい、あんな奴」
「ふざけるのも大概にしろよ。理屈がわからない人間じゃないじゃん、早苗は」
「理屈なんかより」と早苗は瞳を奇妙な輝きに染めた。「凌が、必要なの。生きてくためには」
一秒足らず。それまでの強気は崩れ出し、お決まりの早苗のペースに持っていかれた。風はもう湿ってうねり、あたしたちの間で滞っている。
「だからって今回のは、必要悪じゃないよ」
「罪悪感ぐらい!」早苗は子供のようにしゃくりあげた。「あった、私にも。さっきまではね」
さっきというのはつまり、あたしが川元好き宣言をしたときのことだろう。本気で騙されているとは、早苗にしては恐ろしいほどの弱さ。ああそっか、あたしが強さなんだった。
「どうしたら戻ってくる?」
「嘘だって奇数回、言ってくれたら」
淡々とこぼれる涙。急に、なにもかもがどうでもよくなってしまう。堂々巡りと陳腐な策謀は、一生ついてまわるんだろうと思ったら。
「もしも……うわ、いきなり大声出さないでよ」
セブンイレブンの扉があいたりひらいたり。間違えた、あいたりとじたり。
「なんなのって聞かれても……ん? だって人の彼女に手出そうとするんだもん。いや、フェアじゃないって言われてもー、そもそも公正な手段でやる気はないので……ああはい、ごめんなさい! 誠に申し訳ありませんでした!」
太陽が低い。
「これからってどういう意味? はぁ? 無理に決まってるじゃん、もう諦めなよ……うん、うん、いやぁ無駄無駄。えっ? また紹介してあげるよ……っは。そっかそっか」
ぱしん、と音がして早苗の携帯が閉じられた。
「収束した?」
「んー、もうわたしには頼らないって言われちゃった」
「そらそうだ」
あたしは、奇数回、嘘、と言ったのである。
とたん早苗の表情は晴れ、歩道の上であたしに抱きついた。
「ね、どうだった?」
「もうちょい具体的にお願いします」
「映画。と、オトコのエロ」
脳裏によみがえる、グレーの空間。感慨はないけど、早苗の息がかかっていたんだと思うと割り切れない気分ではあった。
「趣味悪いと思った」
「手厳しいね」
音符マークでもつきそうな語尾で言って、早苗はあたしの肩に頬を寄せる。
「爆弾だ」
「わたし? 素敵な称号をありがとう」
右手に熱が絡み付いてきた。調子いい。コンビニに迷惑なので、歩道橋へと歩き出す。ああ、怒っていたはずなのに。
「ツタヤでAVでも借りてく?」
「あと2年待ちましょうね」
小さい子をたしなめるような口調に、自分で驚いた。たかが16のあたしたちが、16なりに人生を懸けて。かっるい文句に辟易する。夕方の横断歩道を横切りながら、一瞬だけ目を閉じた。
歩道橋の上で、早苗は唐突に呟く。
「ごめんね」
いかにもしおらしい顔で、至近距離からまっすぐあたしを見据えていた。
どうせとうに共犯者なのだ。怒りで下手にエネルギー消費するよりは楽しんだほうが有意義かもしれない、とひらきなおる。暗がりの中で早苗の目が光った。
「もうやめてね」
「その台詞何回目かしら」
笑顔があまりにもかわいくて、あたしは徹底的なエゴイストになりさがる。
[09/12/21]
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