あなたがすきなひと
 『春よ来い』のメロディと共に、早苗は全国一の国立女子高への合格を告げた。あたしは県外の高校に入学予定。確かにあとは春ををまつばかり、のはずが。
「どうしたの凌、いやな顔して」
「べつに……」
 あたしのなかには一点、春になりきれないしこりがあった。そう、と早苗が呟く。目線はどうしてもその口許に。


 あの日。なんだよそれとつかみかかるとクラスメイトはうろたえてまじまじとあたしを見返した。あたしの反応は求めたそれではなかったらしい。予定調和を崩されたその女子はふうんと笑う。
「その動揺じゃ、驚きより嫉妬かな」
 そしてまっすぐに核心を突いた。ごまかしても仕方ない、どうせもう卒業だし。沈黙で肯定して、本題に入ろうと試みる。
「で、その写真はなに?」
「写真は写真よ。真実を写すだけ」もっともだ。「落ちてたの」
 もらっていいかと尋ねるとそのためにもってきたのと微笑まれる。こいつおもしろ半分だ。


 早苗とは長いつきあいだけど、手の内の半分でもさらけ出されているとは思えない。それにこんな写真。泣けてくる。
「ねえ、やっぱりへんだよ?」
 あたしの瞳を覗きこむ。ずっと、一ヶ月間ずっと黙ってきた。受験の邪魔しちゃ駄目だって。
「だれのせい……」
「え?」
 やばい。あたしは涙腺が、昔からよわいのだ。そして早苗にとってそんなあたしの扱いは、もう手慣れたもの。いつものように肩に伸ばされるその手を振り払って勉強机を漁った。あたしのベッドな我が物顔で胡座を組む早苗は、行き場を失った指で頬を掻く。
「これ」
「……ああ」
 眼前に突きつけてやった問題の写真にさほど動じもせず頷いた。どうして。目で問うとにこっと微笑まれる。
「この写真がなにか?」
「好きなの?」
「誰を」
「ここまであきらかな目的語もそうないと思うけど。ここに写ってる男子」
 涙声が加速していた。お願いだからノーと言ってくれ。


「これでへこんでたのね。かーわいい」
 わいいって言葉が、侮辱にしかきこえない。正面を向いていられなくなって俯いた。セーターからのぞく早苗の小さな手が目に入る。この爪の先から髪の毛の一本一本まで自分の自由にできたなら。夢想することは、とうにやめた。
「ちゃんと答えて」
 思わず自嘲じみた笑いが漏れるほど弱ったあたしの声色に、早苗は澄まし顔で返す。こっち来て。言われるがままギンガムチェックの上へ移動した。右のてのひらであたしの肩を掴んで、かるくみじかい、ささやかすぎるキスをする。
「……まーたヤッて丸め込む気?」
「ううん、残念だけどわたし生理中だから」


 だから、という接続詞の使い方が、90度ほどずれていた。結局予想通り場は進み、あたしは息を上げてベッドに寝転んでいる。
「やっぱりこうなる。でも誤魔化させないから」
「何も誤魔化す気ありませんけど?」
 悠々と、あたしのとなりで腹ばいになって早苗は爪を切っていた。黄色の水玉のキャミソールが蛍光色でもないのに目に痛い。
「何なんだよこの写真。吐くまで帰さないから」
「『帰さない』って言い回しエロいね」
「そういうのがごまかし!」
 我慢ならなくなって怒鳴ると目の前に爪切りの刃が向けられる。思わず息を呑んだ。まばたきと深呼吸を数回、再びことばを紡ぐ。
「ほんとのこと言ってくれればいいだけだから」
 そっか、と早苗は暫し沈黙してから、いたって軽快なちょうしで口を割った。「好きって言われたの」


 やっぱりという気持ちと絶望の欠片。なにを思っているのか、しおらしく瞼を閉じる早苗にあたしは問い返す。
「それからなんて?」
「わたしと一回やれたら諦めるって」
「それで」寒気に、声が震えた。「……寝たんだ?」
「寝てない! ちゃんとことわりました!」
 ぱっと安堵がひろがる。だけど。
「キスはしてるじゃん」
 もう一度写真を示すと、早苗はらしくもなく口ごもった。はっきりと写っているのだ、あの熱っぽい唇が名前も思い出せないような男子に奪われている瞬間が。
「じゃあせめて、って頼まれたんだもん……しょうがないじゃない」
 髪をいじりながら話す早苗の台詞にあたしは慄く。しょうがない、と、確かに聞こえた。
「しょうがない? 好きって言われたらだれとでもキスできるんだ、早苗は」
「ちがうそうじゃなくて!」
「ふざけんなよ、あたしの立場ねえじゃん」
「だからちがうの!」
 直後に完全なる静寂が訪れるくらいの大声。ここまで焦っている早苗は初めて見るかもしれない。
「凌が好き、って言われたの」


 その一文を反芻すること約10秒、ようやく話の流れを掴んだ。あたしのことを好きな男子がそれをなぜか早苗に打ち明け、その場で迫ったと。
「自分ならともかく……凌を狙ってるって言われたら、要求に応じずにはいられないじゃない」
 焦燥や怒りが、一気に消えていく。かわりに迫ってきた歯がゆさが、かろうじて短い問いかけになってくれた。
「そういうもん?」
「うん」力強くこたえる早苗の瞳には、いつのまにか水が溜まっている。「じゃなきゃ、嘘だよ」
 早苗に恋い焦がれる誰かに、抱いてあるいは抱かれてと要求されたら。空想だけでもそれは、なかなかの衝撃だった。
「怒ってる?」
「まあそれなりに」あたしは、応じるのだろうか。「つぎからはやめて、な」
「ごめんね、凌」
 もういいよ、と受け流し(た気になっ)てあたしは早苗のキャミソールを捲り背中に舌を這わせる。五感が痺れて使い物にならなくなるくらいまで、この身に取り込みたい。
「や、だからわたし今日は」
「罰だから」
「えー……なにそれ」
 口を尖らせながらも早苗は笑顔であたしに抱きついた。全身がやわらかな温度に包まれる、なにより心地よい時間。
 あたしは幸せ者だから、早苗を好きな誰かはどうしても憎めない。求められればセックスだってできてしまうのだろう。そこに生じるのは同調か敵意か。どちらにせよ不毛だ。でも、だからこそ、あなたを愛する人間は世界に唯一人でいいと、いま声高に宣言しよう。


[09/03/03]
卒業おめでとう爆笑
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