揺らぎがたき思い
わたしはかつて――五、六年前の小学校中学年だったころ――みなとの親友だった。クラス替えや共通の友人同士のいざこざ、それらの結果同じグループにい(られ)なくなったことに端を発し、過去形に至る。
「中学いっても、よろしくね」
「あ、うん」
卒業式の記憶でさえ、こんな他人行儀なたったひとことのやりとりしか残っていない。親友、と安っぽいプロフィール帳にしるしたあの日は嘘のように。
いまではわたしはみなとにもっとも嫌われて、いや憎まれている。
「ミナトが七組の」
「堤に男寝取られたんでしょ!?」
「そうそうそう! 信じらんねーあのガキ!」
軽々しくそのきれいな名を口にするうわべばかりのオトモダチに心のなかで毒づきながら、わたしはその声にしめたと思っていた。わたしがみなとの彼氏を誘惑したことはすでに本人の耳にも入っているだろう。ただし寝取ったというのは事実誤認。
「噂聞いた。優枝と付き合ってるんだって?」
「いやあれは堤さんが!」
「別れよう」
立ち聞きした別れ話には、ガッツポーズ。その彼高士くんはまんざらでもなさそうだった。利用されただけだとも知らず。それにしてもみなとが私のことを名前で呼ぶのをひさしぶりに聞いた。決していい場面では使われていないのに、頭の芯がきゅっと熱くなる。
運よく?わるく? わたしは二学期の選択授業でみなとと同じ班になった。回りの視線も揶揄も毛頭聞こえないふりして、わらう。
「おんなじ班なんて小学校以来だね」
「……うん」
露骨にわたしに背を向け、必死で理科室の模型に目をむけるみなとの首筋を撫ぜ上げた。もちろん頭のなかだけで。だけど実際、大差ない視線も注ぐ。項に髪の一本一本ゆびさきふくらはぎ。いちいちみなとが肌を張り詰めさせてくれるから、おもしろくてしょうがなかった。長く長く長く短い五十分。人間の網膜の仕組みなんて、欠片も頭に入ってはいない。
あの瞬間が、いつまでもわたしを支配する。
「優枝ちゃんはどっちの味方なの!」
わたしは、と口を開きかけたその刹那だ。みなとに困ったような微笑でみつめかえされたのは。
「……わたしは」
ためらいは涙になって、みなとから目を逸らしたのである。翌朝のおはように手が添えられることはなかった。
「みなと、わたしのこと好き?」
「好きだけど?」
即答にがっくりと項垂れると、なんで落ち込むのと尋ねられる。わたしは十歳にしてもう「好き」のことばをシンユウに向けられなかった。それがいつかみなとからほかのだれかに捧げられるなら、そのまえにふたりで消えてしまいたいと毎晩願うほど。
高士くんはこわいくらいわたしに優しかった。
「あのさ優枝」
「堤さんって、呼んで」
「堤さん」
わたしは内心でそんな彼の愚直さに笑っていたけど、その優しさの背景にはどうしてもみなとの姿がみえる。わたしが高士くんを呼び出すのは、みなとに会いたくなったときだった。いつも。
「聞きたいんだけど」
「なに?」
「あの……堤さんってほんとに俺のこと、好き?」
「なにへんなこといってるの? 好きだからここにいるんじゃない」
もと親友を切ってまで。
高士くんは納得していない顔をむりやり笑みで固めた。こんなにもたやすく、好きと口にできる相手。
高士くんは何度も何度も聞いてきた。マジでいいの。三月のはだざむい角部屋。他人の生活の場。いいよ、誕生日プレゼントだもん、と口許を上げると心底嬉しそう。
「ありがとう」
「どういたしまして。でも」
初めてだから気をつかってね、と言う間はなかった。
痛みではない理由で涙が出る。ばかじゃないの。みなとがあいした体。わたしは欲しくもなんともないのに。
みなとにふれた指がわたしの髪をすく。みなとのあたたかさをはらんだことのある唇が、胸を脚を滑っていく。みなとのなかを知っている――。
ばかじゃないの。
「みなとちゃんから電話あったわよ」
みなとはわたしの携帯番号を知らない。だって携帯を持ちはじめたころには、もう。
胸のなかがどうしようもなくざわつく。制服のまま家から飛び出した。『卒業おめでとう』の文字が踊るリボンの花をつけた制服のまま。みなとの家までの道のりは、足が完璧に覚えていた。
「ひさしぶり」
「学校で毎日すれ違ってるじゃん」
「でもこうやって会うのは」
小学生のとき、毎日座った公園のブランコ。遥か遠くのはずが、きのうのことに思える。
「高士くんって」
みなとの肩がビクッと震えた。息をのんで、恐怖を待ち受けるみたいに。
「ゴムつけるとき、すっごく手間取るね。練習してこいよって思った」
みなとが右手を上げる。殴られる、と身構えた瞬間、そのてのひらがわたしの制服のすそをとらえていた。
「……なんで」
わたしは幾度となく、涙を流してきた。みなとのために、否、みなとを好きになった自分のために。だけど彼女がそうしてくれたことはいちどたりともなかったのだ。
なんで、なんてわたしが聞きたい。なんでいまになって。
「なんで、優枝はあたしをそんなに嫌ってんの」
「嫌ってる? それはみなとのほうじゃないの?」
一縷の望みを懸けていた。否定して。違うっていって。
「……友達だと思ってた。けどそのとおり、今は大っ嫌い!」
だけどもうわたしに親友の称号は、名残ですら与えられることはない。自分で組んだ筋書きなのだから当然だ。
愛の反対語は無関心。どこかの偉人がのこしたことばらしいけど、そんなことは言われなくてもわかる。
わたしはみなとの愛を手にすることができない。ならば。幼少の記憶の一部に塗り込められてしまうくらいなら、憎悪の対象としてみなとのなかに生をもらおうと考えた。
恋をしたらそれに破れたら、あなたを傷付けた人間を思い出して。未来に、愛するひととのあいだに授かった女の子に教訓として語るとき、晩年に過去をなぞりかえすとき。あなたの口に名前をのせられてはじめて、わたしは生きる。
「だよね。ありがとう」
「は?」
「わたしはみなとのこと嫌いなんかじゃない。好きで好きでたまらなかったの。でも」
もしもの想像はいつも、最悪な結果に行き着いたから。
「みなとはそうは思ってくれない。絶対に、永遠に」
「なにいってんの、あたしだってこんなことにならなきゃ」
「わたしが欲しい好きじゃない!」
みなとは顔をひきつらせ、たどたどしくわたしから目をそらした。
ちょうどあの日わたしがしたみたいに。
「だから、せめて大嫌いになってもらったの」
卒業おめでとう、とにっこり微笑みわたしは走り去った。常住の景色にひとり少女を残して。
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[09/02/04]
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