トロッコ
女子の世界では「もう」「まだ」がふたつあって、ひとつめは初潮、ふたつめは処女喪失である。どちらも自分には関係のないことと思っていたらいつの間にかとなりあうくらい近くになっていた。「そういう」時期は一瞬一刻ごとに試されているみたいで落ち着かない。
「アスカ、移動したほうがよくない?」
息をころして教室の中を覗き見ていたミサが気まずそうに言う。その視線が虚空をゆらゆらと漂っているのに気がついて言いようのない気持ちにおそわれた。
「……いや、いいよ」
理由もなく否定するとミサは心からほっとしたように「うん」と呟いた。後ろで控えめに立っていた――だけど瞳の色は濃い――ハヤカとシホは、振り返ったあたしと目があうとふたり同時に固唾を呑む。
今日も多くの言葉を交わしたマリが、今日もノートを写させてくれた詠子の腕にいだかれて、たまらずといった様子でしきりに息を漏らしている。ときどき混じるふたりの喉からこぼれる声。そこに充満する熱気にあたしたちは「あたしたち」から「あたし」へと独立してゆく。普段は心地よい共存が意味の無いものへ、無粋なものへと変化する。
あたしはたゆたう「今」の行方を見定めようと必死だった。
マリをずっとかわいいと思っていた。容姿も中身も。だけど文字では書き表せそうにない声を上げて詠子に強く強く抱きつく彼女は、見ず知らず別世界の人間のようで――でも逆にとても生々しくもあって、あたしのなかに余計な悟りをひとつ増やしたのだった。
果てたマリはぐたっと詠子の胸に倒れこみ、あふれんばかりの満足感をたたえている。その背中を詠子の手が優しくなぜる。そこには彼女たちの世界が確立していた。
(友達のこんな姿、もう見たくない。なのに、足が動かない、目が離せない)
我に返った「あたしたち」の思いがぴったりと重なる。同時にいたたまれなくなって意識だけは全速力で走って逃げた。
がたん、と机の動く音がする。詠子がマリの制服を着せ直しているところだった。ためらいのない穏やかな手つきになぜかぞっとする。
「帰ろう、アスカ」
誰かに与えられた使命のように口を切ったのは部活でマリと同じパートのシホ。その顔に浮かべられた笑みは、きっと彼女の最大限の努力。あたしにその努力を台無しにする権利はない。
うん、とあたしもいつもの明るさに戻る。いつもの快活なリーダーに帰る。
「珍しいもの見ちゃったね。明日二人を盛大に冷やかそうか」
あはは、と強張った笑いが起こる。一人ひとりが自分に課せられた役目を果たすことで、「あたしたち」は成り立っているのだ。
「よし、校門まで走って競争!」
重い両足に全神経を集中させて階段を駆け下りる。背中越しにみんなの足音がたたみかけるように響いてきた。あっというまに校門についておおきく空気を全身に送り込むと、きらきらはじけるような光が束の間だけそこらじゅうに散らばってみえる。
[08/08/14]
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