優柔不断は直らない(3)
Hunger is the Best Sauce
「恋をしたい」
予め用意していた言葉を放つと、空気が変わった。巴月は驚きと訝りとが入り混じった表情で私を見ている。
「なに、いきなり」
巴月はそう一蹴すると再び地理の教科書に向き直った。さかさかとシャーペンのすべる音がする。その無機質さとは裏腹に、巴月の心の中が波立っていることを私はよく知っている。
「だってさ」と追い討ちをかけた。「恋のひとつでもすれば日々に張り合いが出ると思わない?」
ふざけんなよ、と思った。なにが張り合いだなにが恋だしらじらしい! 内心でひとしきり逆上し、引き続き黙って教科書を読む。
「……な、なんか言ってよ」
嘉穂はさすがに焦れたのか身を乗り出してきた。あるいはそれも演技なのかもしれない。そう思うと今更とはいえ少し怖くなった。おもちゃじみたミニテーブル越しに、前屈みになった嘉歩の胸元がある。ワイシャツは第二ボタンまで開襟がうちの学校の女子の鉄則。「目のやり場がない」って状況を、あたしは齢十四にして数多く経験している。主に、というか九分九厘嘉歩のせいで。
真面目な話題を振ってみてもふざけてよいしょしてみても、巴月は頑なに口を開こうとしなかった。どうやら本格的に機嫌を損ねてしまったらしい。かといって今謝るのも不自然な話だ。どうしよう、と私は柄にもなく本気で頭をひねった。ひとつの案に思い至る。
「ね、ここ教えて」
頼みごとをされてまで無視は続けられないだろう。巴月はしぶしぶと言わんばかりにはいはいと呟いた。私の気のせいでない限り、その声にはかすかだけど安心ものぞいていた。ありがとう、と私はありったけの笑顔で言う。この人を、傷つけたいわけじゃない。
自分から教えてくれと申し出たわりに嘉歩には理解したいという意志が弱いように見える。質問にこそ正答をよこすけど(もともと嘉歩はあたしよりずっと成績がいいのだ)、あたしが説明している間もどこか上の空。ちゃんときいてんの、とあたしが聞くと、
「きいてない」
とあっさり返すので怒りを通り越して呆れた。だって、と嘉歩はなぜか嬉しげに続ける。
「集中できるわけないよ。巴月と勉強するなんて私にとってはいちばん効率悪いもの」
瞬間、停止した思考がハイスピードで希望的観測に走り出すのを理性が咄嗟に必死に押し留める。悔しいがこれはもう長年の嘉歩との付き合いで身についた条件反射。
(照れるか喜ぶかしてほしいところだったんだけど)
もちろん私は巴月がそれらの感情を私の前で素直に顔に出せないことをよく理解している。だってそういう環境を作り上げてきたのは自分自身なのだ。ずいぶん酷なことをしているという自覚もある。でも。
――片思いだと思い込んでやきもきしている巴月の姿を、しおらしいと感じてしまうから。
恋をしたい、というのはだけど本心。私は愛するより愛されたいタイプ。巴月のほうから触れてほしい。「友達」なんてもう味わい飽きたのだ、私だって。
無感情を装ってノートと向き合う巴月の、やわらかく揺れる前髪を私はいっしんに見つめていた。
[08/05/19]
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