優柔不断は直らない(2)
Two's Company
不思議な空気である。陽が傾き始める四月の六時半。一台の車の中に、教師一人と、生徒三人。同じ小学校の出身だけど、榎本と樋口と特に面識はない。それでも男子一人でついてきた理由は話しやすいからとかではなく、自分がほぼ全く相手にされないからだ。自覚しているのかどうかは知らないがあの二人には独自の世界が完全にできあがっている。中途半端に気を遣われるより無視されていた方が楽なこともあるのだ。
唯一関東大会まで進出した剣道部のその試合の取材。新聞部部長の俺と写真部部長の樋口に声がかかったのは順当だろう。
俺だってその時点でちょっと緊張した。女子と二人きりなんて特別親しくもなければ俺には無理だ。もし教師の同伴がなかったらと思うと、もしもの話なのに胃が痛くなる。そこに幸いというべきか、新聞部でも写真部でもない生徒会所属の榎本が同行の名乗りを上げた。優等生の口車に乗せられたと見える教師は車内に一席空きがあるからといいかげんに了解し俺の心配は杞憂に終わった。実のところほんの少し期待していた部分もあったのだけど。
いつのまにか車内が沈黙に包まれていることに気付く。後方に流れていく窓の外の高速道路の看板を横目で見つつひとつあくびをした。もしかして後ろの二人は寝ているのだろうか。軽く振り返ると、ホテルのネオンサインの光を受けた肌色が目に飛び込んできた。咄嗟に目を逸らす。すると背後になんとなく寒気を覚えた。が、このチャンスを見過ごせるほど立派な人間じゃないし野暮でもない。気のせいだと打ち消し深呼吸をして再びそっと後ろを向く。
「……っ!」
瞬間、俺の顔面に打ち付けられたのは傘の柄。寒気は殺気に進化している。
「なにすんだよ榎本」
「見んなバカ」
「はぁ?」と俺は傘を振り落とした。「見られたの自分じゃねえじゃん」
榎本は「そうだけど!」と声を張り上げると押し黙った。しばらくしてから躊躇したような口調で呟く。
「……友達として」
拍子抜けした。たったそれだけのことを言うのに今の間は不自然すぎだ。サイドミラー越しに榎本の表情を盗み見ると、明らかに動揺の色が浮かんでいる。悪い予感がした俺は鎌を掛けてみることにした。
「じゃあ直してやればいいじゃん、スカート」
「……」
「へえ、できないんだ。ここが電車の中だったらどうすんの」
「……」
「誰だって見るよ。大体友達のためとか言ってどうせ」
「黙れ!」
案の定榎本は大変分かりやすい反応を示してくれた。こんどは動揺に更に焦りが上乗せされている。もう一声困らせてやろうと言葉を探していると背中に大きな衝撃が走った。
「あー、悪かったから蹴りは勘弁」
そう抗議をしても鈍い力は止まない。二回までは容赦したけど、背骨をもろにやられて堪忍袋の緒が切れた。俺は仏様じゃないけど女子に三度も蹴られて黙ってはいられない。再び後ろを振り返る。
「いいかげんに」
しろ、と言い終えないうちに声が詰まった。寝息を立てる樋口のめくれ上がったスカートの下も気にならないと言えば嘘になる。が、今はそれよりも榎本から目を離せない。
榎本は泣いていた。悔しくて悔しくて堪らないという風に。両手の拳を膝の上に置いて固く握り締めている。涙で濡れた顔を歪める怒りは俺へのものなのか、それとも榎本自身に向けられているのだろうか。
「ごめん」
どちらにしても謝るのが今俺にできるただひとつの手段。榎本は絞り出したような声で、別に、と言い捨てた。
なんだかずれているのだけど、運転席のおじさん教師が興味無さげにガムを噛んでいたことに俺は心底安心した。
樋口が目を覚ましたのは高速道路を抜けてから。おはよう巴月、という起きぬけにしてはやけにはっきりとした樋口の声でそれを知った。
「嘉歩」
「なに?」
「スカート」
「あ、ありがとう」
夜の闇の中では確認できないけど、榎本は恐らく、いやきっと頬を染めていただろう。
また自分がシャットアウトされた世界が作られていくのが全身で感じられる。至近距離でなされる女子二人のやりとりがなぜか微笑ましくなって、俺は我知らず吹き出した。ただし意識の片隅では、榎本のそれとは異なる種類の悔しさがほんの少しだけ滞っている。
[08/05/04]
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