遠く咲き誇る /15
合格発表と重なったバレンタインには満面の笑みと手作りチョコをくれた。ほかの子たちと同じ包装の。わたしが自分のためだけに三度もブラウニーを作り直したことなんか、きっと気付いてはくれない。不自然にならない程度に特別感を滲ませた努力にも。
ホワイトデーである今日の、なんてことない晴れた朝だ。生まれたその瞬間から決まっていた場所。毎日毎日腕を通した制服に、履きつぶして色褪せたスニーカー。予定調和の集合であるはずの、一日。
「おはよ」
「おはよう」
游ははにかんで手を振り返す。些細な仕草のなかに焦燥が、見えた。わたしのそれより遥かにかるい。
忙しなく形を求める薄白い教室のなか、わたしは游を独り占めすることができる。昇降口で渡された赤い花飾りを弄びながら、あってもなくてもかわらないようなことばばかりを紡いだ。
「あっという間だったね」
「だなぁ」
「名残惜しい?」
「うん」
即答にポッとしたときだった。無粋なものがわたしたちのおだやかな膜を破って侵入してきたのは。
「ナカタ! 今日打ち上げ来るよね?」
教室の後方に陣取って騒ぐ女子のリーダーが、游にがさつな大声を飛ばす。游は見た目が見た目で誰にでも愛想がいいから、クラスの中枢的な人たちからも気に入られているのだ。
先を越された、と思った。午後から游はあちらにいってしまう。わたしがはねのけられて足を踏み入れられないところに、いってしまう。
「ああ」
惨めさがじわじわと込み上げてきた。よりによってこんな日に。いや、だからこそなのだけど。
目を伏せ深呼吸。涙は絶対に、堪えよう。
「ごめん、悪いけど先約あるから」
「先約? なによ!」
「羽那とふたりで打ち上げ」
どうしてだろう、切なくてしかたがないのは。
いつまでも忘れはしない、ともに過ごした輝く日を。
答辞曲の歌詞に不覚にも泣かされてしまった。気付くとわたしを離れ広がっていくもらい泣きの輪。着席の号令でまた椅子に腰掛けた。わたしは游より出席番号が若いから、游より前の席にいる。游が今こっちを見てるとか見てないとか、そんなことわからなくても。
わたしは幸せ者。だって游は「同性の恋は偽物」といいきった。「だけど友達を失いたくはないから」とわたしに付き合ってくれているのだ。切り捨てられたって、おかしくないのに。わたしの思いを受け入れてくれた、離れないでいてくれた。それ以上のことを、わたしは望むべきではなかったんだ。でも人間一度甘味を覚えると病み付きになってしまう。もっと上をもっと上を、と。去年のクリスマス、わたしのからだに触れる游の手には鳥肌が立っていた。効きすぎる暖房で暑いほどだった部屋のなか。
証書の授与が始まる。BGMは各クラスの音楽祭での合唱曲。ここに入っているわたしの声はまだ、游の唇の感触や瞳にひろがる怯えの潮を知らない。
ふたりで映画に行った日、帰り道で知り合いに会うと游は「友達です」と言った。当然のこと。だけどそこには塵ほど、ううん針先ほどの躊躇さえ見受けられなかったんだ。悲しくなっちゃ、いけませんか。
体育館は寒すぎる。冷たくなって痺れた指先にはあっと息を吐きかけた。わたしたちを囲う紅白幕に、厳かな壇上に掲げられる日の丸、花束。「特別」は例えば在校生らによって作られるものなのだ。
順番が回ってきて立ち上がる。あくびをする游と目があったとき、世界がぐにゃり素敵に歪んだ。
そこらじゅうで光るフラッシュ、減っていく制服のスカーフ。式のあとのホームルームではみんな泣いた。わたしも泣いた。游は曖昧に笑って言う。
「べつに人生終わるわけじゃないんだから」
聞こえないふりした。
部活、委員会、その他もろもろのメンバーに顔を出し終えてふたりで昇降口に座り込む。梅の花が誇らしげに咲いていた。
「ありがとな、二年間」
「こちらこそ」
ああそうか一年生の時はまだ知り合っていなかったんだ。もったいない。
「まさか告られるとは思ってなかったなあ、しかし」
游はおどける。温度差が確かに、あった。
「ごめんね」
「いや責めてないって!」
慌てる声とともに、わたしの腕をとらえる手。ちがうよ、いまのごめんねはそういう意味じゃない。
「……わたし」卒業生が浮かれはしゃぐ声を遠く聞きながら、游の手を払い除ける。「幸せだった」
游は宙ぶらりんになった右腕をぶらぶらさせ、わたしの目を覗き込む。いやというほど記憶した瞳の唇の鼻のかたちが、いとおしさをよびこみはじめた。
「なんで、完了形?」
たった一言でケリがつくことが、この世にはなんて多いんだろう。華やかな空気に一点の空白が作り上げられていく。こちらを気に留める人はいなかった。みんな自分のことに必死。
「終わったからよ」冷たい向かい風が、わたしたちの顔を射す。「いままで恋人ごっこしてくれてありがとう」
「え、終わったって」
「友達になってくれる?」
人生でいちばん悲しいお願いと笑顔を浮かべた。
胸のリボンがふわふわと風に乗っている。前庭の生徒は、徐々にだけど減り続けていた。
「友達だと辛いんじゃなかったの?」
「辛いよ。だから、しばらく会わないでいる」
心臓の鼓動が加速度を増していく。夜中にベッドの上で何度も何度もシミュレーションしたせりふ。その甲斐あって噛まずには言えたけど。
「やだよそんなの」と游の顔が歪む。「絶対」
こんな息苦しさを予想できるはずがなかった。
「だって游は、わたしのこと好きじゃないもん」
「好きだよ! なんで疑う!?」
疑うもなにも事実だもの、わかってしまうのは仕方がない。游はわたしにたくさんキスをくれた。でも唇にしてくれたことはないのだ。わたしが返礼をしようとすればかたくなに拒むし。好きなひととの身体的接触が必要不可欠なわたしにとって、これらはこたえた。
「……『お試し』だったんじゃない、最初から。その期間がおわるだけよ」
梅の花びらが何枚か落ちていった。游の細い髪がなびいて、さらさらとわたしの肩にかかる。それでハッとした。ショートカットが届くほどの至近距離。
「終わらせなきゃいいじゃん! 気い遣ってんの? 私は全然構わないって」
構わない、なんて言われている時点で望みはないんだ。
「……羽那とはずっといっしょにいたいのに」
目に涙を溜めて游は呟く。こんなにも、理想どおりの言葉。円上なら、あなたは359度向こうにいる。背中合わせで地球一周させたいとでんわ越しにしゃべっているんだ。たしかに好き合っていながらふたりとも思いは叶わない、なんて不思議なことがこの世にはある。
振り返れば、あしもとから崩れ落ちてしまうのだろう。
思い切り泣いてやろうと考えていた。最後だもの。だけどその権利は既に奪われて游の手の内にある。
「羽那が考えを変えてくれるまで、帰らないから」
「物好きだね。一生ここを離れない気?」
精一杯の余裕でいい放った。反応は、ない。数人の先生たちが微笑ましそうな目でこちらを見ている。友達同士の感動的別れの場面とでも思ったのだろう。
「……わたしは、游を束縛したくないの」
濡れた二つの眼がこちらを向いた。
「束縛?」
「このままじゃ游は恋のひとつも自由にできないもん」
「恋なんかより」と游は恐れた言葉に向かう。「友達のほうが大事」
チープなドラマに身を委ねるくらいなら、すべて失ってしまえ。
「わたしもそうだよ」
游はさっと顔色を変える。自らのせりふに真理を見たようだった。
「……ただの言葉のあやじゃん」
ながーいだんまりの末、である。
「本心でしょ」
「友達でもあり……恋人、みたいな」
「冗談よして。別に游は悪くない、わたしとは違ったってだけだよ」
そう、分かりきっていたことだ。もし游が男の子で私がヘテロセクシュアルだったら。なんども叶うはずのない空想をした。でも空想の上でさえダメだったんだ。姿も性格もそのままで性別のみ違う游を、わたしはきっと愛せない。好きになった相手がたまたま同性だった、なんて陳腐なフレーズは当てはまらないのだ。女だから、同性だからこそ、わたしは游が好き。
「游はこれからいくらでも人を好きになるよ。わたしにむける気持ちにこれっぽっちの恋さえ含まれていなかったことに、そのとき気付く」
喉の奥からなにか込み上げてくる。寸でのところで押し留めて顔を上げた。
「わたしはそのときそばにいない」
「打ち上げは?」
「え?」
脈絡ゼロの游の問いに間抜けな声が漏れる。
「ふたりで打ち上げって誘ったじゃん」
「ああ、そうねー……」
わたしは自問自答スパイラルの末、
「10年後にしようか」
と答えた。
本のページが残りわずかになったときのそれに似た寂しさ。終わりの気配が近づいてきている。
「わたしのことが好き?」
「うん」
「なら最後のお願い。わたしより先に帰って」
もう、あなたのために傷つきたくないから。
「……いいの? 羽那は後悔しない?」
ああ、このひとはどこまで優しいんだろう。その優しさに痛め付けられるであろう誰かのことを思って、自嘲じみた苦笑がひとつ。
「うん。またね」
游がゆっくりとコンクリートから腰をうかせる。その刹那、青い空が飽き飽きした校舎がロータリーに植わる木々が、つまるところ世界が、強烈な眩しさを帯びた。游の姿がやけにぼんやりと空気に線を取っている。伸ばされた手を取ったとき、自分が泣いていることを知った。
「気が変わったらいつでも連絡して」
どうして時を逆行できないのだろう。どうして欲に身を任せてしまうんだろう。どうして、人は男であったり女であったりしなければいけない? いままでもこれからも常識であることに対してわたしは次から次に疑問を投げ掛けた。
「うん」
握りしめた手のひらが汗ばんでいく。涙を拭って、しっかりと前のひとを見据えた。わたしを惑わせた女の子。
「じゃあ」
「さよなら。ありがとう」
溢れんばかりの笑顔で。どちらからともなく絡めた指をほどけば、出口はすぐそこだった。
踵を返し、右手に卒業証書の筒を持った游は校門へ向かう。きらきらとそこだけ光が満ちて、わたしは叫んでいた。
「幸せだったよ!」
その光はわたしの少女としての記憶か。游は肩を震わせて一瞬だけ踏みとどまると、すぐに走り去っていく。ありふれた紺のセーラー服、グレーのセーター、白のハイソックスに包まれたわたしより華奢な脚。どこにでもいそうな中学生なのに。
髪の先までも。愛しさが涙をさらに溢れさせた。生きる術であり、わたしをわたしで有らしめた人。たくさんの温度を知った。
梅の花が風に舞いあげられる、なんてことは起こらない。ただそこにある卒業式の午後が機能していた。ぽかぽかとした陽気のもと、平和で晴れやかなとき。忘れ得ぬその姿が角を曲がって死角に入るまで、わたしはずっと見つめていた。人生終わるわけじゃない。
[09/03/27]
Lots of Thanks for Your Reading!XD
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