築いた砦は闇の前 /10


 わたしはいま、ものすごく焦っている。あと二ヶ月で受験。イコール三ヶ月後には卒業だ。
「なにしてるの」
 游はベッドの上からわたしの頭をさわっている。撫でるというのではなくてつむじから後頭部へ、そして首筋へと軽く力をかけて五本の指を放射状に滑らせていくその動きはマッサージじみていた。落ち着いて雑誌も読めない。
「いやなんとなく……気持ち良くない?」
 古風な言い回しだけど、ぶったまげた。游の思考回路って絶対変だ。真っ赤な顔は見せられない、うしろにいてくれてよかった。
 雑誌を閉じながら小さく深呼吸をして振り返る。わたしの頭に弾かれた右手を持て余す游の鎖骨が目に入った。野暮ったい紺のセーラー服も游が着るとさまになる。となりに腰を下ろし、中途半端に緩められた白いタイに手をかけた。
「游の受ける高校って」
「ん?」
 そこに入るのに、わたしは偏差値で言って3足りない。頑張れば上げるのも不可能ではない数字だけど、親には反対されている。曰く、友達に合わせて学校を選ぶのは自らのためにならない。ちなみにお母さんは好きだった人を吹っ切るためにあえて別の高校に進学したらしい。
「制服どんなの?」
 三年間使い込んだシルクのタイはもう相当にくたびれている。元は海軍の軍服だったセーラー服の襟が大きく開いているのは、溺れそうになったときすぐに破れるからだそうだ。
「私服」
 え、と予期せぬ回答に固まった。私服通学。高校生で。ということは、つまり。
「最後なんだ……游の制服姿」
「あ、そっか。言われてみれば」と游は頷き、それから訝しげな顔で言う。「それが?」
「もったいないよ」
 口を開かれる前に、抜き取ったタイを游の首に巻き付けた。もったいない。同時に嬉しい。このひとのこんなにつたなげな姿はわたしが独占できる。
「……苦しい」
 その声はあまりにも扇情的に響いてくるのだった。わたしは自分のタイを外して、游と一緒にベッドへ倒れ込む。
「これあげる。交換しよ」
 仰向けになる游のタイを自分の胸元に通した。所有欲の対象は徐々におおきいものへと移り変わる。手を伸ばした先の唇が、こちらを向いた。
 視線を下げて、襟の下にあるファスナーに人差し指を掛ける。あ、と游が呟いた。ごめん、やめて。
「わたしじゃだめ? やっぱり」
「違う! そうじゃなくて、ほら私今あれだから」
 珍しく游が赤面する。女の子同士ってこういうのがめんどくさい。ふたりのタイミングがうまく合う確率は約56%だ。
「羽那がどうしてもって言うならしてもいいけど私は」
「なんにちめ?」
「え……ふつかめだけど」
 頭の中で計算が進む。わたしの予定を考えると、少なくとも10日後になった。
「クリスマスの楽しみにでもしようかな」
「いいの?」
 游が不安そうにわたしを見る。なんだか悪いことをしている気分だ。
「一ヶ月ぶん、ね」
「あっそ」
 游は照れたまま寝返りを打つ。スカートの襞の下から伸びる細い脚が空に円を描いていた。
 游はまだ同性の恋を偽物だと言うだろうか。自分が男の代用にされてるって、恋愛なんてどうでもいいって思うんだろうか。背中からぎゅうと抱きついたら、何度も唾を飲み込まなければいけなくなった。
 春には近くにいられないかもしれない。積もり積もった焦燥は未来のイメージを悉くさらっていく。小さな約束だけが、脆く崩れ出しそうな足もとをなんとか繋ぎ止めてくれた。


[08/11/30]
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