Dreaming of Love /7


 とりあえず3週間、と朝霞憧子は言った。
「わたしは、そりゃあ永久持続が希望だけど」
 私にはこういう期間の目安が分からない。


 何が変わるんだろう、とずっと思っている。何か変わっていくんだろうか、羽那と「付き合う」ようになってから。
「おはよ」
 頭にてのひら、背中に胸元。なるほど身体的接触は増えた気がしないでもない。おはようと返すとなぜかむっとされた(こういうことはもう空気でわかる)。
「嫌がらないの?」
「嫌がってほしいんだ」言いながら自分で納得した。「うん、羽那らしい」
 首から下に冷気が戻る。つむじに肘鉄砲を食わされた。
「游のそーゆーとこが」
 素晴らしいタイミングでチャイムが割り込む。羽那はとたんに赤い顔をして自分の席に戻っていった。
 なんといっても昨日の今日だ。いつもより十分遅らせられた羽那の登校時刻に不覚にも笑いが浮かんでしまう。
 開いた本の端に視線がとん、とあたって、私はわざとらしく自然淘汰の四文字を人差し指でなぞってみせるのだった。


 午前中の窓際の席は太陽が眩しい。立ち上がってカーテンを引くと予想以上に教室に音が響いた。
「立ったついでに杉、答えいくつ」
 余計なおまけまで付いてくる。わたしのノートにはうさぎの細胞分裂と題されたらくがきがあるのみだ。あわてて後ろに手のひらを出した。瞬時に冷たくくすぐったい感触が皮膚を滑っていく。鳥肌がたちそうになるのを必死で抑えてその指が作り出す曲線に神経を集中させた。
「3」
「ん?」
「……と、4。3と4です」
 はいそうですね、と数学教師はわたしに着席を促す。即座に憧子さんを振り返って感謝を述べた。
「いつもありがと」
「冴莉勉強できるんだから、授業聞きなよ」
「だって後ろに憧子さんがいるんだもん」
「は? 私のせい?」
 鈍感丸出しの質問を無視して前を向き直る。うなじにシャーペンの上端で攻撃されて、わたしの勉強意欲はさらに失せた。


 箱の中の彩りをそっと箸で掴みとる。プチトマトだけは受け付けないのだと前にこぼしていた。游が一度口にしたことは意地でも忘れないつもりだ。
「中田さん、アレいいの?」
「ああ、弁当に私の嫌いなもん入ってると勝手にとってくんだあいつ」
 游は相変わらずのポーカーフェイスで冴莉の突っ込みをかわしている。その真意に触れない、触れさせないすれすれのところで。
 トマトを咀嚼し続けるわたしに憧子が箸の先を向けた。
「……なに?」
「ダメだよ羽那ちゃん、ちゃんと中田さんしつけなくちゃ」
 突拍子のない単語に思わず咳き込む。游と冴莉もわたしの顔を見た。
「し、躾?」
「彼女の役割じゃん」と憧子は笑う。「今だってせっかく冴莉がいいフリくれたのに、もっと前に出ていかないと。ねえ中田さん」
 話の中心が游に移る。わたしは安心と不安を両手に抱えなければならなかった。
「よくわかんないけど」と游は頭をかく。「羽那は私のこと知り尽くしてるから。――って、こんな感じ?」
 あなたと一緒にいまここにいる。80点かな、と満足そうな憧子の声が、わたしを游の中へと誘った。


 平日の午後は一分が百八十秒である。嘘だ。そう感じるってだけで。
 また動いていない冴莉の右手を眺めながら私はさっき中田さんに言われた言葉を思い返していた。
「朝霞さん私にあんなこと言ってたけど」と中田さんは騒がしい更衣室で声をひそめた。「自分のことも顧みたほうがいいと思う」
 確かに冴莉の好意は私のそれとどこか違う。といっても彼女たちみたいな意味ではなく、どちらからも友情なのだけどその友情の形がほんのわずかだけずれている、ような気がするのだ。
 冴莉の両腕が宙で伸びの姿勢を取る。はっとして顔を上げると食物連鎖の授業は終わっていた。
「憧子さん、ノート……あれ、珍しく書いてない。どうしたの?」
「……冴莉の手見てたら」
 とっさに言い訳が思い付かずつい正直な理由を話してしまった。冴莉はきょとんとして、それから怪訝そうな表情で私の目を覗き込む。ごまかすように私は尋ねた。
「冴莉は、……私をどう思ってるの?」
「は?」
「普通の友達と思われてないじゃん、私」
 緩やかな三時のなかで私たちのまわりだけがどこかへ急いでいる。なまぬるい風は教室全体を揺らした。 「友達でしょ? 私はそう思ってるよ?」
 冴莉の声色は上り坂に差し掛かっている。額に汗がにじみ出るのが視力2.0の私にははっきり確認できた。
「羽那ちゃんたちに影響されたの? やだな、わたしは違うのに。もしかして憧子さんのほうがその気ありとか? 残念だけどさすがにそれは」
「やけに饒舌だね」
 この一言に過剰反応したら、と考えたのだけどその狙いは外れた。ふうんとひとり頷きつつ冴莉の指を握っている。


[08/11/23]
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