DRAMA /5


 後悔先に立たず。この諺って七文字分の空白と同義だと思う。あたりまえのことをあたりまえに書いて、真理ってそんなもんなんだろうか。
 目の前に広がる光景が一種の眩しさとなって私を襲う。得体の知れない熱気が充満した部屋。タオルケットから頭だけ覗かせている羽那。その表情は疲労と妙な満足感で構成されている。枕元には脱ぎ捨てられた制服のスカートと、まるでジグソーパズルのような私の写真。
 そしてなにより見てはいけなかった、羽那の涙。
「帰って!」
「……」
「帰ってよ、ちゃんと謝るから!」
「ちがう……」唇が、声が震える。「羽那が謝る必要なんてない」
 消え入りそうになる声は、羽那に掬われた。
「游」
 スプーン一杯分の静寂。いまにも壊れそうな笑みを浮かべた少女は、なけなしの憎悪と自らに刺さったトゲを一本、私に投げつける。
「お願いだから、わたしを嫌いになって」


 もういいと、終わりにしようと思った。自分に言い付けていた禁止令を破って、友達に戻らない覚悟もした。なのに。
 やさしいこのひとは、トモダチを裏切るなんて天地がひっくり返ってもしない。いや、できない。それをよく知っているわたしは、見えない電話線に最後の甘えを預けてしまったのだ。
「なんでそんなこと……羽那は私が好きなんじゃないの」
「好きだよ。ただし恋愛対象として」
「どんな形だって、好意は同じだろ」
 みぞおちに鈍い衝撃があった。戸惑いぎみな游の目線がしっかりとこちらを向いているのを感じ、わたしはまた絶望する。
「ぜんっぜん同じじゃない。ごめんね、わたしはもう游とは一緒にいられないや」
「なんでだよ! 私は羽那が私をどんなふうに見てようと気にしないし、これからもずっと友達でいたいのに」  「じゃあ、わたしとキスできる?」
 一瞬、空気が凍りついた。游の瞳孔が開いていく。後悔ならとことんまでしてやろうと極めて後ろ向きな決心が生まれた。
「游のからだにさわりたい。セックスだってしたいよわたしは! それでも友達でいられるの?」


 羽那は布団にくるまって寝転がったまま起き上がろうとしない。潤んだ黒目に私の打算が映された気がしてどきっとした。
「羽那がどんなふうに考えてようと気にしない。し、嫌うなんて無理」
「で?」
「……」
 やっぱり、だ。羽那は私の言いたいことを見抜いている。
「せっかく仲良くなれたんじゃん、この先も友達で」
「ふざけんな!」
 音が、五感を支配する感覚。
 羽那の怒号が自分に向けられていることにしばらくのあいだ気づけなかった。叫びの意味を頭がやっと理解し、次から次に感情が湧いてくる。驚きの占める割合が最も高い。そっと羽那を窺うと、みごとにとらえられた。
「游は平気かもしれないよ、でもわたしはもう無理なの! 気持ちが知られてるのにとなりで友情ごっこするくらいなら」
 そういえばこの部屋に入ってからいちども時計を確認していない。切れた言葉の代わりに、痛々しい嗚咽が耳に届いてきた。
「なら……姿が見えないほうが遥かに楽だよ」


「これはなに」
 脈絡がつかめない游の言葉につい顔を上げると、そこにはちいさな液晶にずらりと並んだわたしの名前があった。あ、と息を呑む。痛いところを衝かれた。
「会いたくないならこんなに電話する必要もないと思うけど」
 わたしはいま悲しい。けど同時に、性懲りもなく喜んでいる。喜んでしまう。
「私は羽那が好き、羽那も私が好き。離れる理由がどこにあるんだよ!」
 游は折れそうな勢いで携帯を畳んでわたしに詰め寄った。鋭さを帯びたその声に思わず肩を震わせる。振りきらなきゃ、いけない。
「腑に落ちないなら何度でも言うよ。游といると辛いの、好きは好きでも角度が違うんだもん。目の前に好きな人がいるのにどうやったって手が届かない。わたしのことを好いてくれているなら、せめて苦しませないで」
 自分でも驚くほど流暢に言葉が出た。あるいは心の中に堆積し続けてきた思いだったのかもしれない。
 頬に熱いものを感じてさらにはっとする。いつのまにか泣いていた。そのくらい、游を失う痛みは強いのだ。でももう我慢するだけの余裕はない。
――わたしだってわからないよ。どうすればいい?
 形を与えられなかったはずの問いかけは、だけど受け止められた。
「私が、努力する」
「え?」
「羽那を好きになる。セックスだろうとなんだろうとできるくらいに」


[08/10/28]
2style.net