a Taking flight girl


「ユリ、って言うんだっけ?」
 とても馴染み深い言葉なのに、わたしの頭はその一語を漢字変換するのにずいぶん時間を要した。ナツは続ける。
「女の子同士の恋愛モノのこと」
「なに、いきなり。なんの話?」
 わたしは内心でっかい衝撃を抱えながらも平静を装って言った。こういう演技は慣れっこで大得意なのだ。と、自分では思っている。さすがに最初に声を掛けられた瞬間には思わず顔を上げてしまったけど、むしろそのほうが自然だっただろう。
「きのうインターネットやってて見つけたの。ハヤカちゃん好きって言ってたじゃん」
 ネットと略さないあたり擦れていないなと感じた。どう考えてもわたしとは不釣り合いだ、友達として。
 女同士だっていいと思うんだよね。昨日の放課後それとなく、でも自分の中では一大決心をした上で発したひとこと。ナツはふうんと鼻を鳴らし目を見開いたあと、考えたことなかったなあ、と真実の口調で言った。
「べつに好きとは言ってないよ、好きとは」
 名演技をしているつもりでも、わたしの声はところどころ裏返っていたしやたらと足を組み替えたり瞬きを繰り返したりと挙動不審でもあった。
「え、嫌いなの?」
「いや嫌いではないけど、まんがとかで読むぶんには悪くないというか、そういう形があってもいいと思うというか」
 さらに発言は支離滅裂。今の返事だって「はい、好きです」をオブラートに包んだだけなのは見え透いているのに、幸いナツにはそこらへんのニュアンスは伝わらなかったらしい。「あー、なるほどなるほど」と納得するナツの言葉にわたしはほっと胸をなで下ろした。
「でもさあ」とナツは物知りたげな顔をする。「なにするの、女同士って」
 蛇足として述べておくと、ナツは男女または男同士で「する」ことについての知識は持ち合わせているらしかった。それにしては寸分のはばかりもやましさもない声色だ。わたしが黙りこくっている、その含みにも気付かない。
「なに、って」
 口を開きながらもわたしはどう続けるかまったく考えていなかった。ナツは女同士でなにを「する」のか、わからないのだ。
(それって、つまり)
 それまで冷たかった空気が一気に生温かくなった。前になにかの重たい本で、澄んだ瞳を持ったどこか物憂げで美しい少女が、グロテスクに切断された男根を口に含んでいる絵画を見たことがある。あのときは甚だしい不快感に襲われたけど、今ならあの絵を描いた人の気持ちがほんの少しは理解できる気がした。
「そういわれると確かになにするんだろうね」
 わたしが咄嗟に下した判断は、ナツの友達として相応しい物言いをすること、だった。
「だよね。あ、そういえば」
 ナツは特に気に留める様子もなく話題を移した。昨日のあれ、みた?
 体内に堆積している粘土みたいな物質に、くっきりとナツの手形がついた。そして奥の奥の暗闇では、ほんとうのわたしがじっと息をころしている。


[08/03/21]
2style.net