a Jolting girl
いまからうち来て。話したいことあるから。そう丸っこい字が書かれたメモが入っていたのは下駄箱の中。古風だなあ、と思う。いまどき中学生で携帯を持っていない私達。
話ってなに。ユウナの部屋に入った私が尋ねてからもう30分。一向に口をひらこうとしないユウナ。私は重い空気が気にならなくなるほど退屈していた。
「ユウナ、そろそろ話さないなら帰っていい?」
「よくないっ」ユウナは伏せていた顔をいきおいよく上げて言った。「ごめんね、でもこんなこと友達に聞いていいのかって」
「それでも、聞こうって思ったんでしょ? だいじょーぶ、ユウナになに聞かれても変とか思ったりしないし」
絶対に? と上目で聞いてくるユウナ。絶対。私が答えてもユウナはたまらないように絶対に絶対ね、と念押ししてくる。
なにを聞かれるのか見当もつかないけど、それを聞いて変とは思うかもしれないけど、私がユウナを嫌うことはありえない。自分自身が一番よくわかっている。ユウナは私にとってとても大切でいまのところ誰よりも大好きな友達なのだ。
「話してくれなきゃ始まんないよ」
私がそう言うとユウナは両手で顔を覆い、それから覚悟を決めたように私に向き直って言った。
「メイちゃん、セックスしたことある?」
よどみなく流れ出したその言葉は、小柄でかわいらしい容姿のユウナにはとても似つかわしくないものだ、と私は思ってしまった。
「ないよ。……だってまだ中一じゃん」
何故か言い訳がましいことを付け加えてしまった。なんとなく嫌な気分になる。間違ってもユウナに対してじゃない、自分に対して、だ。
「だよね、ごめんほんと変なこと聞いて!」
「ええと、話ってそれだけ?」
私が聞くと妙な沈黙が始まった。下を向いて押し黙るユウナ。気まずさを増長させるような、テレビから聞こえてくるくだらないお笑い芸人の声。私はというととっくに空になったコップを弄んで、ユウナが見ていないのをいいことに部屋中を眺め回したりしていた。
心の中ではこれでもかというほどに膨れ上がる疑問。どうしてそんなこと聞くの、ユウナはしたことあるの、それともしてみたいの、……。でも私はそれらを口にすることはできなかった。聞いた瞬間に私たちの間の何かが決定的に変わってしまいそうだったし、答えを聞くのが怖いっていうのもあった。とにかく私にとって私達の関係は、健全な女の子の友達同士、だったのだ。いくら仲が良くてもお互いに立ち入ってはいけない領域があった。
「あと」
張り詰めたユウナの声で我に返る。私が目で続きを促すと、ユウナはばつが悪そうにした。
「その、自分で、自分でそういうこと、したことはある?」
そう蚊の鳴くような声で言うユウナの姿は途轍もなくしおらしくて、一瞬だけどまるで聖域のようにも思えた。
「……確かにそれは友達に聞くことじゃないね」
私は無理やり微笑を作って言った。その言葉は明らかにイエスの答えを物語っていて、それを自覚していたしユウナも瞬時に察したようだった。
私がユウナとの間に求めていたのは「健全」な関係だったけど、私自身はその二文字から大きく掛け離れていた。だから誰がどう見ても清らかなユウナと一緒にいて、たまにわけもなく後ろめたい気分になったりしていた。
「ごめんねほんとに、やだよねこんなこと聞かれて」
「いや、べつに。まだなにかある?」
「ううん、もう。ありがとうこんな話聞いてくれて」
どういたしまして。私は笑って言った。そして即座に立ち上がってこの部屋をあとにすれば一番よかったのだけど、なぜかそのタイミングを逃してしまい、再び気詰まりな沈黙に包まれる。
私もユウナもテレビの画面を凝視して、でもそこに映っている映像は見えていても全く頭に入っていなかった。
とにかく何か言いたくて、でも何を言ったらいいのかわからなくて。いつもはうるさい教室が保健体育の性教育の時間にだけ静まり返ったあのときととてもよく似ていた。
紅茶の入ったポットを手にとったユウナの手もとがくるい、茶色い液体が机いっぱいに広がった。慌てて二人で拭き取る。ごめんね。ううん大丈夫。何分ぶりかの声のやり取りがあって、ユウナはチャンスだと言わんばかりに切り出した。
「……どんな感じなのかな」
主語がなくても何が聞きたいのかは度が過ぎるほどに分かった。
「もう聞くことないって言ったじゃん」
「ごめん」ユウナはまた謝罪の言葉を述べた。「変な子と思ってくれていいから」
だから、答えて。ユウナの目はそう訴えていた。
「そんなの……言葉じゃ言えないよ」
口に出してから、いまの変なふうに受け取られたかなと危惧した。
「じゃ、あ」そしてそれは杞憂に終わってくれなかった。「じゃあ教えて」
「ちょっと、ユウナ自分がなに言ってるかわかってる?」
私はまだ笑いながら言った。冗談で済むうちに終わらせてくれることを心底望んでいたのだ。
「わかってる」でもユウナはいたって本気だった。「でも、だって、知りたいの。変な……すごい変な子だって思うだろうけど」
気付くとユウナの目には涙が浮かんでいた。
友達同士でそんなことを「教える」なんてとんでもない。常識的に考えて。もちろん私もユウナもその程度の常識は持ち合わせている。けれど、この時は二人とも冷静さを失っていた。一度加速するともう止まらない。セックスという未知の話題からお互いの「性」をはっきりと感じてしまう話に触れて、どうすることが普通でどうすることがそうでないのか、そんな基本的な判断も下せる状況ではなかった。
「あ、でももちろんメイちゃんがいやじゃなければの話だけどっ」
ユウナはさすがに自分の発言が突拍子もないことに思い至ったのかあわてて取り繕った。といっても相変わらず常識の尺度はずれたままで、ユウナのその言葉もまたかなりずれていたのだけど。
私は何も考えずに口を開いていた。
「別にいやではないけど」
この一言が私達の関係を変える決定打だ、なんてことは思わなかった。すべては既に狂っている。
くどいようだけど私達に常識は残っていなかったから、三度目の沈黙のあとぎこちなくことに及ぶ、なんてことにはならなかった。
ユウナはためらいもせずソファの上で仰向けに寝転がって、「じゃあよろしく」と躊躇はないけど恥じらいはある表情をして呟いた。
私はほぼ無意識に部屋の灯りを消していた。ユウナのもとへゆっくりと歩み寄る。制服から伸びるユウナの華奢な手足、紅潮した頬が窓の外からのほのかな光に照らされて暗い部屋の中に浮かんでいるように見えた。
これからどうするかなんて全く考えていなかった。ユウナの右手を取る。冷たくも熱くもない、つまり自分と同じくらいの体温が伝わってきたその瞬間、私の体の中に正体のわからないもやもやとしたものが広がった。
気のせいだ。そう自分に言い聞かせて、見えないふりをしてさらに手を伸ばす。右手のてのひらにユウナの左胸のわずかな膨らみと小さな突起を感じると同時に、体の中の「なにか」は明確な感情に変わっていた。
「……ごめんユウナ、やっぱり無理……」
気持ち悪い。ユウナに対して初めてそんな感情を抱いた。触れることによってユウナに生々しく「同性」、つまり「女」を覚えてしまったのだ。
「あ、メイちゃ」
私は自己嫌悪する余地もなく、悲しそうな顔をしたユウナが言い終わるのを待たずに全速力で部屋を飛び出していた。絶えず湧きあがってくる、吐き気にすら似た感覚を振り払おうと必死で。
[07/12/17]
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