a Colding girl
教室に入ったわたしの耳にまず飛びこんできたのは、親友の助けを求める声だった。
「シホ! どうしよう助けて!」
どうしたの。わたしは自分の席のまわりでがやがや話していたクラスメート達をてきとうにやりすごしてイスに腰かける。どうしたのとは言ってもミサの話したいことなんかたいてい決まっている。
「河合くんがさっき」
ほらきた。と思ったのだがしかし、目で続きを促すわたしにミサが話したのはいつものそれとはだいぶかけ離れていた。
「う、うそみたいなんだけどね、でもみんなでしゃべってて」
「はいはいはい。で、なに?」
「驚かないでね、ほんと信じらんないんだけど……あたしのことが好きだって、河合くん、が」
念押しされたのに驚いてしまった。つい顔をあげると、ミサは最大級の驚きと興奮と喜びがまじったような、つまりはてしなく嬉しそうな顔をしていた。
なにそれまじで? たずねるとミサはいっそう嬉しそうな顔をして声を張りあげた。
「まじで!」
そしてひとりでとめどなく話しだす。色々な単語が出てはきたけど要約すると結局は「信じられない、嬉しい」という意味のことを延々と。
「どうしよういつコクったらいいのかな」
「べつにいつでもいいんじゃない」
わたしは自分のなかにつめたいものが広がっていくのをはっきりと認識していた。それがなにゆえのつめたさなのかも。
ミサはそんなわたしをみて勘違いしたらしく、申しわけなさそうに顔をよせてくる。
「あ、ごめんねシホも好きなひといるのにあたしばっかりこんな」
「ううん、そんなんじゃないよ」
言いながらも心のなかではわたしは、ごめんなんて思ってないくせに、そんなに喜んじゃってばかみたい、なんてシホに悪態をついていた。
わたしに好きなひとなんかいない。てっとり早くクラスメート達との共通の話題をつくるための嘘だ。恋愛とファッションと芸能にかんすることを話しておけば、とりあえずは友達としてやっていけるのが女子。だからって他人にあわせるだけなんてばからしいしだいいち面倒だと最初は思っていたのだけど、ミサといるときだけは違った。
どこにそんなに惹かれたのかというと、自分でもよくわかるようなわからないような。つまりわからないのだけど、とにかくこの子といれば少なくとも中学の三年間は中身がなかったなあ、なんて大人になってから思うことはないと確信したのだ。
初めてミサと話したとき、こいつはわかりやすいな、と思った。なんの話をしていても最終的にはひとりの男子のことに持っていく。その男子というのがつまり河合くんだ。たった十分の会話でも聞き飽きるくらい「河合くん、河合くん」とミサが連発するものだから、わたしは珍しくも「シンドーさんって河合のこと好きなの?」と女子らしい優しさを働かせてみた。するとミサは水を得た魚のごとく「そうそうそう! そうなの!」と堰を切って話しはじめ、その日わたしは暗くなるまで公園でミサの河合くん話に付きあわされた。
翌日、あの子はこれから毎日あんな調子なのだろうかとなかばうんざりして学校に行ったわたしは拍子抜けした。ミサは登校してきたわたしと顔をあわせると「シホ、おはよー」と馴れ馴れしい女子らしくいきなり下の名前を呼び捨てし、「えーごの小テストの勉強してきたー?」と河合くんのかの字もない話題を振ってきたのだ。もちろんそれはわたしにとっては楽でよかったけど、前日が前日なものだったからつい気になって「ねえ、きょうは河合の話はしないの?」と問うた。ミサは「そんなに同じ話ばっかりしてたらたとえ親友でも嫌になるでしょ、きょうはお休み」と笑った。
わたしは、だったらきのうの話を小分けにしてくれればよかったのに、とか思う余裕もなく、ミサがなにげなく口にした「親友」という言葉の響きにとりつかれていた。
入学から一年八ヶ月、ずっと付きあってきたミサの片思いは終わろうとしていた。
「決めた! もうきょうの放課後、言ってくる」
頑張ってね。そう言ってからもうこの子が頑張る必要はないんだと気づいて、おめでとう、と訂正した。ミサは「気が早いっ!」と恥ずかしそうに笑った。
わたしにはミサがいま考えていることが手に取るようにわかった。そしてきっといまこの子のなかには、「親友」である私でさえ入る隙はないんだろう、とも。
「でもほんと、よかったね。ずっと思い続けてきたのが実って、さ」
そう、親友の恋が叶うのだ、すこしは妬みを持ちながらも祝うのが普通。なのにいくらそう思ってもすこしの喜びも湧いてこないどころか、どんどん気分が沈んでいく自分が怖い。
「ありがとう。シホがずっと応援してくれたおかげだよー」
幸福に満ちた顔でミサは私の右手を握った。瞬間、すべてを悟る。わたしが好きなひとがいると嘘をつき続けてきたのは、なにもクラスの子達と話がしたかったからなんてくだらない理由じゃない。わたしはこの子、ミサだけを自分のそばに繋ぎとめておきたかったんだ。きっと最初に会ってからずっと奥の奥のほうでそう思っていた。直感していた、と言い換えてもいい。嘘をついてでも何か共通するところを作って安心感を得たかったんだ。
途端に悲しみと新しい疑問がこみあげてくる。それは私がミサを好きだっていうことなのだろうか? 違う、と思う。わたしがミサに対して抱いているのは恋愛感情なんて甘いものじゃない。けれど、そうかもしれない、とも思う。自分で自分がわからない。ミサは黙りこくるわたしを見てひとり納得したように言った。
「大丈夫だよ心配しなくても、彼氏ができてもシホとは変わらず親友だから」
照れているのか「彼氏」という言葉に変にアクセントがついていた。わたしはつくり笑顔で思ってもいない言葉を口にする。
「わかってるよそんなこと。わたしに遠慮なんかしないで楽しんでいいからね」
親友。嬉しかったはずの言葉がいまはただただ空しかった。
はたしてミサと河合くんは恋人同士と相成った。ミサは宣言したとおり、放課後になると河合くんの所属する陸上部の練習場所へ行って彼をベタに裏庭までつれて行き、これまたベタに「好きです、付きあってください」というセリフで告白した。
そのあとの展開は見ていなかったけど、相思相愛のふたり、上手くいかないわけがない。ミサはわたしの携帯に電話してきて「やったやったやった! どうしよう嬉しすぎる! もうあたし死んでもいい! あ、あとごめん今日河合君と帰るから。明日また報告するね。そんじゃ!」と一方的にまくしたててすぐに切った。
わたしはというと、驚くほど冷静だった。さっきのような悲しさも空しさもどこかに消え去ってしまったように、ふたりを応援する気持ちさえ芽生えかけている。さっきのは一体なんだったのだろうか。一瞬でもミサに対して恋愛感情のようなものを持っただなんて信じられない。
「ま、よかったな」
周囲に誰もいないのをいいことにひとりごちる。よかった、穏やかな気持ちを取り戻せて。
さて、もう帰るか。階段を降り、昇降口に向かう。と、ちょうどミサと河合くんが校門を出て行く姿が見えた。ふたりともぎこちない足取り。ここまで声は聞こえないけど、会話が途切れ途切れなのが遠目にもわかる。
不意にミサがこちらを振り返った。わたしに気付いて手を振ってくる。わたしは振り返そうとあげた右手の重みにぞっとし、瞬時に舞い戻ってきた凍りつくような冷たさを恐る恐る全身へにじませるのだった。
[07/12/01]
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