蝋燭の炎


 生まれて初めてお葬式に出た。私の祖父は私が胎児の時に亡くなったそうだから文字通りだ。
「ユウコちゃん」
 気付くとやつれた顔をしたあの子のお母さんが背後にいた。私は振り返って軽く会釈し、型通りの弔辞を述べる。彼女はうすく笑って、そんなにかしこまらないで、と呟いた。
「あの写真」と彼女は遺影を指差す。「撮ってくれたのってあなたかしら」
「いいえ」と私は首を振った。「学校にあった写真じゃないでしょうか」
 ひっそりとした通夜の雰囲気のなかふたりとも自然と小声になった。この部屋の有彩色はいくつかの献花だけ。一歩外へ出れば夏の青空の中に鮮やかな花々も木々も街も存在している。そんな当然のことがここにいると真実なのかでたらめなのかの区別さえつかなくなった。
「たしかに学校にあったのよ。でも誰も撮った記憶がないって言うし」
 じゃあ、と口を挟もうとしたら「学校専属のカメラマンの方にも確かめてみたんだけどね、これは自分の写真じゃないって」と先回りされた。
「そうなんですか。でも私も本当に知らなくて……お力になれなくてすみません」
 彼女は申し訳なさそうに何か言いかけて口をつぐんだ。しばらく沈黙が続く。やけに涼しく浮世離れした空気が流れ出した。
 あの子の遺影の前で蝋燭の火が揺れている。橙から青へ、また橙へと緩やかに変色を繰り返す。私はその小さな光にすっかり目を奪われてしまった。段々とほかのものすべての焦点がぼやけていく。そうして意識も朦朧としてきたころ、あの子のお母さんが再び口を開いた。
「ありがとうね、ユウコちゃん」と目を伏せる。「あの子と仲良く、してくれて」
「そんな」瞼に熱いものが込み上げる。「私こそっ、本当に、楽しかった……」
 涙ぐみ、そこからは声にならなかった。彼女は私の背中をさすり、親戚らしき人に呼び止められると静かにその場を離れていった。


 理不尽なのはわかるけど、私はあの子のお母さんの言葉に少なからず傷つけられた。あの子と仲良くしてくれてありがとう。限りなくいやな捉え方をすると上からの物言いだ。私は彼女のためにあの子と仲良くして「あげて」いたわけじゃない。
 友達と家族、その隔たりは大きい。私があの子と親友であったといっても、あの子がこの世を去った今、あの子は「私の親友」ではない。私はそれをこの二日間で痛感した。だからあの子の遺影になった写真を撮ったのが自分だと白状しなかったし、ほかにもあの子について口を閉ざしていることは山ほどある。あの子の家族に対して申し訳ないとも思う。でもそれより、私だけが知っているあの子の姿を一つでも多く留めておきたい。
 もう一度遺影を見つめる。私はあのひまわりみたいな笑顔をファインダー越しに見たのだ。文化祭の前日、あの子はクラスメイトから任された膨大な量の仕事の合間を縫って私のもとへ駆けてきた。明日、二人で一緒に回ろうねユウコちゃん。弾んだあの子の声が鮮明に蘇る。私は部活の作業のために持っていたカメラをはしゃぐあの子に向けた。特に目的はなかった。目の前にきれいなものがある。自分にはそれを形に残す手段がある。だから、撮った。それだけのこと。
 そうしてほんの思いつきから生まれた写真は、やけに上出来だった。私はそれをあの子に手渡し、めぐりめぐって今、祭壇の中で立派な額に収まっている。
 私はとうとうしゃくりあげながら子供のように泣いてしまった。尽きることのない涙に自分はこんなにも悲しかったのかとようやく気づく。
――どうして。どうしていっちゃったの。私は明日から登下校もお弁当も部活の休憩時間も塾の授業も全部、ひとりなんだよ、わかる? くだらないことだけど、幸せって結局瑣末なことの集まりだって、話したじゃない。私たちはお互いに、相手の生活を支配していた。あなたは私のもつ狭い世界、そのものだったんだよ。
 届くはずもないのに私は、胸のうちであの子に必死に語りかけていた。明日から私の世界は一転してしまう。生きていける心地が、しない。でもそれはあくまでも精神上の問題。いくら辛くたって人一人いなくなっただけで人間死にはしない。生きていくことはできる。できてしまう。その事実が悲しかった。
 あの子自身の誕生日だった。私がささやかなプレゼントを持ってあの子の家に行こうとすると突然電話が鳴った。学校の連絡網で伝えられたあの子の交通事故死はまるで電化製品の取扱説明所の文章のように耳に入ってきた。私もまた機械的かつ事務的な口調で次のクラスメイトに回した。あの子に渡す予定だった写真立ては今、私の部屋の本棚の上で包装されたままほこりを被っている。
 制服の裾が濡れているのを見て私は唐突に祭壇の蝋燭の火を吹き消してしまいたい衝動に駆られた。無意識に立ち上がり、めまいに襲われる。ふらふらとしゃがみこんでまた嗚咽を漏らした。背中にあの子のお母さんの視線が注がれているのを感じる。
 事故があった日の前日、あの子に「自殺ってどう思う?」と尋ねられたことは絶対に自分だけの秘密として墓場まで持っていこう、と私は改めて強く決心した。


[08/??/??]
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