ドミノ倒し


<しょう来のゆめ。わたしはおおもりつぐみちゃんが好きです。しょう来は、つぐみちゃんをおよめさんにもらいたいです。里ざきひなた。>
 生まれて初めてもらったラブレターの拙い文字を眺めて微笑む。十年経った今でも、私はこの手紙をまるでお守りのように持ち歩いていた。
 幼稚園で「ぼくの・わたしの将来の夢」の作文の発表会があったあの日の夕方、ひなたは私の部屋でほとんど泣きそうになりながら言った。嘘じゃないよ、ほんとにつぐみちゃんのことが好きなの。私だってひーちゃんのこと好きだけど、女の子同士じゃお嫁さんにはなれないよ。私は幼稚園児なりに全く本気にしていなかった。つまるところこのうえなく残酷だった。どうして女の子じゃだめなの? だって変じゃない。 どうして? お母さんが二人なんて聞いたことないよ。私が一向に取り合わないでいるとひなたはすっくと立ち上がって宣言する。じゃあ私は男の子でいい。
 やっぱりひーちゃん変だよ、男の子でいい、って意味わかんない。わたしは背を向けるひなたに声を掛け続けたけどもう返事はなかった。ひなたは芯の強い目をしながら私の家を出て行ってしまう。
 土日をはさんで次に会った月曜日、ひなたは変わっていた。それは外見の話であり同時に中身の話でもある。
 肩まであってよくみつあみにしていた髪はばっさりと切られ、すっきりしたショートヘアになっていた。ひなたはもともとさっぱりとした顔立ちだったから、その髪型で制服のスカートをはくとなんだかちぐはぐな雰囲気が漂った。境界を見せつけるその姿は、周りに距離をとらせるようになる。
 それから随分シンプルな口調になっていた。かわいらしいリボンやレース、キャラクターものには目もくれない。私に、それまでの「ひーちゃん」という愛称をやめさせ、中性的であまり好きではないと自ら語っていた「ひなた」という男女兼用の名前で呼ばせるようになった。
 つまるところひなたは自分が思いつく限りの「男の子」の要素を徹底的に身につけようと試みたのである。私はそのひなたの努力が自分のためと分かっていたから嬉しかったけど、やっぱりあの告白が真剣なものだとは思わなかった。
 ひなたちゃん、男の子っぽくなったよね。そう好奇の目を向けられると私は、ひなたは私のことが好きで、でも私が女の子同士じゃ変だよって言ったからこうやって男の子になろうとしてるの、と相手構わず言い放っていた。誓って悪意からではない。あのころ私は本当に嬉しかったんだろう。
 ひなたはそういうとき、決まって目を伏せて、中指の爪を噛んでいた。


 小学生になるとひなたの男っぷりはますます輪を掛けていった。小学校時代にひなたのスカート姿を見た記憶はない。
 ひなたちゃんって男の子みたいだね、と普通の女の子ならむくれるようなことを言われても嬉しそうだった。給食の時間、やたらと私に嫌いなものがないか尋ねてきた。自分が代わりに食べてあげる、っていうのがやりたかったんだろう。ひとはいつから枠に組み込まれていくのか。その中で、私はひなたにとても愛されていた。
 私たちの通っていた小学校は時代にそぐわず学芸会なんてものがあって、二年生のときの出し物は演劇。ただし配役はしっかりと時代に対応していた。不公平にならないように主役を全員で交替しながら演じるという(わけの分からない)方法である。
 題目は「白雪姫」。どのように決めた順番だったか私の白雪姫としての出番は大詰め、王子様とのキスシーンだった。小二ともなれば立派に物心も下心もついている。クラスの女子は私を庇うという名目で、お芝居でもキスなんてするのは認めないと主張した。ひとりだけがはみだすことは許されない、いつの記憶でも。じゃあフリだけで、ということにまとまったかと思えば今度はその時の王子様役の男子が怖気づいて降板すると言い出し、それに乗じてほかの男子も挙って劇をストライキ。新任の若い女教師は二日続けて欠勤した。
 そんなクラスの混乱を鎮めたのがひなた。王子役を買って出たのだ。藁にもすがりたい思いだっただろう担任教師はボーイッシュないでたちのひなたの申し出に二つ返事で頷き、女子同士ならノーカウント&ノープロブレムとクラス中も納得、キスシーンは当初の予定通り行われる運びとなった。
 ちなみに私は幼稚園のころと同じようにそれを言い触らし続けていたから、ひなたが私に告白をした顛末は周知の事実となっていた。もっとも小さい頃の可愛い思い出話、として。だからまわりから多少冷やかされたりもしたけど、ひなたは気に留めていない様子だった。
 練習も含め私とひなたは何回かキスをしたはずなのだけど、私には具体的な記憶が残っていない。ああやわらかいな、と思ったことをかろうじて覚えてはいるけれど、実際の感触はどうしても呼び起こせない。
 学芸会本番の日、劇が終わってからの数時間、ひなたは口を利いてくれなかった。
 小学校高学年に上がったころから、私は以前よりもひなたに抱きついたり過剰なスキンシップを取るようになった。それは中二の今でも続いている。自分を好いてくれている人の体温は心地よくて安心できて、どうしてもその温かさに甘えたくなってしまう。ひなたはたまに暑いとか邪魔とか言ってくることはあるけど本気で拒んだりはしないから、たぶん嫌がってはいない、と、思う。
 だけど、最近すごく冷たい。私のことをもう好きじゃないのかな、なんてナーバスに死にたくなる自分も、よくわからない。私はもちろんひなたも同性愛者ではないけど、触れ合った時間が長すぎた。だからどちらかに彼氏ができたりしたら、一触即発、友情はもろくも崩れ去ってしまいそう。
 そもそも友情というよりは狂った念のようなものに結び付けられている気も、たまにする。


「里崎とつぐみちゃんってさあ」
 クラスメイトの山岸さんがおもむろに口を開いた。この先は聞かなくても大体予想がつく。
「ほんっと仲いいよね」
「そう? やっぱり傍目にも分かる?」
 私は語尾にハートマークがつきそうな口調を作った。山岸さんは、そりゃあもう、と大きく首を振り私たちを指差してまくし立てる。
「だって中二女子ふたりが昼休みの教室で堂々と膝枕して片方は課題片方は読書ですか! ここ共学だよ共学。私からしたらまったくもってしんじられない。ていうかありえない」
「あー、でも」と私は少々気圧されながらもにこついて言った。「ひなたの脚絶妙に筋肉ついてるから寝心地いいんだよ。山岸さんも使ってみる?」
 すると山岸さんは本気で引いたのか、私の発言は黙殺しひなたに話を振る。
「里崎も、なんていうかその、進んでやってることなわけ? それは」
「いや」とひなたはのっけから否定の返事をした。「つぐみが好き勝手にしてることであってあたしの意思とかは微塵も関係ねーから、誤解しないように」
「そうなんだ。よかった」
 山岸さんがあまりにもほっとしたふうに言うので私は少しばかり頭にくる。咄嗟に口走った。
「でもねでもね山岸さんっ」
「え、なに?」山岸さんは私の語気の荒さに面食らったようである。「つぐみちゃんその体勢で喋るの?」
「うん。あのねー山岸さんは小学校違ったから知らないと思うけど、ひなた昔私のことが好きだったんだよ」
 山岸さんは目を丸くしてひなたにその見開かれた目を向けた。ひなたは何も言わない。
「ラブレターまでくれたんだから。それに男の子っぽく振舞うのだって私が好きで始めたことなんだよ」
「へえ」と山岸さんは興味深そうな声を上げた。「昔っていつ? 小さい時、だよね」
「まあね。もう十年前」
「里崎がねー。かっわいいなあ。今からじゃ想像もつかない」
 山岸さんは愉快そうに笑う。上目で見るとひなたはやっぱりうつむいて中指の爪を噛んでいた。私はひなたの細い腰に両腕をまわす。上からの反応はない。代わりに山岸さんからもう一つ質問があった。
「で、つぐみちゃんはそのとき告白を受け入れたわけ?」
「まさか。だって友達どーしの告白なんか本気にしな」
 い、と言い終わる前にひなたが自分の机を拳で叩きつけていた。がん、と大きな音が教室に響く。何事かと露骨に視線をよこしてくる人もいた。
「ひなた」私は体を起こして恐る恐る問いかける。「ごめん、私言いすぎたかな」
 それからしばらくの間重い沈黙に包まれた。しばらく、といっても麻痺しきっていた私の感覚だから信憑性は薄い。ひなたはじっと机をにらみつけたまま押し黙り、山岸さんはその場に立ち尽くしていた。
「……ちょっと来い、つぐみ」
 ひなたは低い声で呟くと私の右手を掴みずんずんと歩き出す。教室は徐々にいつもの空気を取り戻して、私と山岸さんだけが同じくらい呆気にとられていた。


 ひなたは無言のまま早足で歩き続ける。私にはひなたが今なにを思っているのかこれっぽっちもわからない。十年の付き合いでもこんなことは初めてだ。
 自習室の前まで来ると、ひなたは突然立ち止まる。中に誰もいないことを確認してから引き戸を開けた。一番奥の席へ迷いのない足取りで向かい、かなり汗ばんできた私の右手をやっと放す。
「分かってやってんのか」
 かすれそうな声。私は状況が飲み込めずに驚きと怖さで立ちすくんでいた。
「責任取ってくれんのかよ!」
 責任って、なんの。出かけた言葉を引っ込める。ひなたは涙ぐんで、疲れきったような悲愴さをたたえていた。その表情は私に恋心を打ち明けた、4歳の少女だったあの日と同じ。
 私の頭の中は真っ白になって気の利いた言葉のひとつも浮かばない。脚から力が抜けて壁に寄り掛かると、ひなたは私の頭の両脇に手をついた。この状況ドラマの修羅場とかであるよなあ、と場違いで呑気なことを考える。
「ほんとに確信犯じゃないんだろうな」
「ほ、ほんとだよ。わかんない。なんのことか、全然」
 私を鋭く貫くひなたの瞳に一瞬だけ苦みが走った。ひなたの気持ちは見当もつかないけど自分がひどい仕打ちをしたということは直感できて、言うに言われぬ罪悪感に苛まれる。
「あたしは今でも」とひなたは辛そうに顔をゆがめた。「今でもつぐみが好きなんだよ」
 私は一回聞いただけではその言葉の意味をつかめず、何度も何度も頭の中で反芻し、ようやく自分の愚かしさに思い至る。
「今だって本気だし昔からずっとずっとそうだった。十年間も! なのにつぐみはいつも茶化して、冗談だと決め付けて、しまいには関係ないやつらにまで触れまわる。そのたびに笑われて、仲良しなのね、とか言われて、そのときのあたしの気持ちがお前に分かるか!」
 ひなたはすごい剣幕になってどんどん声を張り上げた。ごめんなさい、そう心から謝らなきゃだめだと思う。なのに口も手も、全身が金縛りにあったかのようにびくともしない。
「あんなに本当だって言った。本当に好きなんだって。あたしはべつに両思いになりたいとか甘い夢は見てなかった。でもせめて気持ちは伝わってほしいって、それだけだったのに」
「ひなた」私はやっと震える声を引き絞った。「ごめん、私無神経でなにも分かってなくて」
 ひなたは絶句して私を正視する。眼光人を射る、って言葉があるけどまさにそれだ。私は息苦しさのあまりぎゅっと目を瞑った。闇の中でもひなたの声は続く。
「好きな相手が毎日毎日まといついてきて、それとなく止めろって言ってんのに聞かなくて、そういう意味での辛抱も限界なんだよ。だからもう、気持ちがないならべたべたしてくんな、お願いだから。それかつぐみが今あたしを気持ち悪いって思ったんなら、あたしは今後一切つぐみに近づかない」
 ひなたはそこまで言い終えると、緊張の糸がぷつりと切れたかのようにその場にくずおれた。
「……ごめんなさい。今更謝ったって遅いけど、長いあいだひなたにむごいことし続けてきた」
「そんなのあたしが一番よく分かってる」
 涙声だ、とぎょっとしたらひなたは膝を抱えてしゃくりあげている。もしかしたらこうして私が詫び言を言うのもひなたに対して失礼なのかもしれない。かといって今どうすることが最善なのか浅はかな私は閃いたりしない。
 始業チャイムが鳴った。廊下を駆けていく大勢の足音が過ぎ去ると、私たちしかいない自習室はとたんに静まり返る。張り詰めた静けさの中にひなたの泣き声だけが浮遊していた。
 私のために強くなろうとしたひなたが、私のせいで泣いている。まだ見えないなにかが、胸の中で弾けた。
 ひなたを背中から抱きしめる。泣かないで、と耳元で語りかける。泣かないで、ひーちゃん。びくりと肩を震わせた。
「やめろ」
 なにを、と尋ねると、全部、と力なく答えられる。同情ならこんなことやめて。
「私ひなたにもらった手紙ね、今でも制服に縫い付けてお守り代わりにしてるの」
 ひなたははっとして顔を上げた。後ろからじゃ表情が見えないのが惜しい。
「同情じゃないよ。責任感でもない」
 ひなたの手を取り、中指の爪に軽く舌を這わせる。ひなたが息を呑むのが分かる。続いてごくりと唾を飲み込む音。
「10年も待たせちゃってごめんね」
 お嫁さんになるよ。そんな恥ずかしいセリフは、さすがに口に出せなかったけど。
 これまで安らぎを得るだけだったひなたの温みに、間抜けな私は今頃になって初めてどきどきと胸を高鳴らせていた。


[08/04/01]
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