扉を開けて
一週間ほど前から欠勤しているらしい。噂では生徒からいじめられて不登校になっただの夜に副業をしていたことがばれただの色々と無責任な理由が無責任に囁かれているが真偽のほどは定かでない。というか嘘に決まっている。
――養護教諭の話だ。そこで代理に別の教師が入るわけでもなく、学校がそんなに適当でいいのか、PTAからまたうるさく言われるんじゃないだろうか、とあたしですら少し心配してしまった。
そんなわけで保健委員長でありついでに成績優秀、教師からの人望も厚いサナエは今この保健室においての全権限を握っているといっても過言ではない。
生徒が校内で怪我をすると応急処置のため教師らの口伝えでサナエが保健室まで呼び出され、ときには校内放送がかかることすらあった。再三授業を抜け出したりしたら成績に響くのでは、なんてことを懸念する者はいない。そもそも自主的にサボっているというわけではないし、たとえマイナスになったとしてもサナエはそれに匹敵するどころか百倍以上のプラス要素をこの三年間で積み上げてきた。
「はい、痛いけど我慢してね」
本日二回目の患者はあたしだった。昼休みにクラスのサッカーに参加したところ、何年ぶりだろうかと思うほど豪快に転倒。右足の膝下一帯が擦りむけ、おまけにそこに校庭の砂利が入り込み相当みっともないことになってしまった。
「ほら動いちゃだめだってば。まったく昔から痛がりねリョウは」
「いやあたし微動だにしてませんから。なに一人で喋ってんだよ」
「だってさあ」とサナエは物足りなそうな顔をした。「せっかくの保健室だよ。これだいぶオイシイよ。我慢して動かないでねー、あっごめん痛かったかな、ううん大丈夫、よく堪えたねえらい、とか少女マンガ的な会話を期待してたんだけど!」
まるで一人芝居だ。正直途中からはなにがなんだか分からない。サナエは勢い込んでまくし立て終えると包帯を手に取った。
サナエの手当ては丁寧なもので定評があるらしい。なるほど確かにあたしだったら相当手間取るだろう包帯巻きも慣れた手つきでさっとやってのけた。
「よしできた。遠目には履いてないのにハイソに見える」
しかしそんな優等生、むしろ優等生の鑑みたいなサナエだがあたしといるときの発言はかなり変だ。担任教師あたりが聞いたら別人だと思うんじゃないだろうか。
サナエは包帯を棚にしまうとその姿勢のまま何秒か考えるように黙り込み、何を思ったかベッドのそばへと歩み寄った。そして「リョウ、ちょっとこっちきて」とあたしを手招く。あたしは何事かと素直にサナエに近づいた。
「ちょっとここ座って」
言われるまま示されたベッドの上へ座る。サナエは上履きを脱いであたしと肩を並べた。
「なんだよ」
「えー」とまたしても不服そうな声を上げる。「鈍いなあリョウは。今度はあれですよ、保健室のベッドの上に幼なじみと二人きり。わからないかなこのシチュエーション」
「悪いけど分からないねまったく。で、あいにくあたしはお前のように頭の出来はよくないので、授業に戻ろうと思います」
「今戻ったって家庭科じゃない。眠くなる授業ナンバーワンよ。それにあの先生いちいち生徒のこと見てないし、わたし達がいないことにも気づいてないよきっと。ここにいたほうがずっと楽じゃない? それともリョウはそんなにお勉強が好きなのかしら」
お前理屈っぽいにもほどがある、と無理やり悪態をつこうとしたがサナエに先を越された。わたしより、授業のほうがいいんだ。
芸能リポーターと同じだ。断定されたら反論せざるを得ない。あたしが、そんなわけねーだろ、と言い返すとサナエは後ろから抱きついてきた。
「わたしおとといやっと生理終わったんだー」
「へえ」内心の動揺を必死で隠す。「そりゃよかった」
「どういう意味か分かります?」
「……おぼろげに」
あれ? と自分で思った。何を肯定しているんだあたしは。案の定サナエはあたしの返答に喜んだらしい。背中に掛かる力が急に強くなり、不覚にもベッドの真ん中へ倒れこんでしまった。サナエはあたしを見下ろしてなぜか秘密めいた口調で話す。
「となりは事務員さん一人しかいないし放送も切ってある。無粋な邪魔は入らないよ」
言い終えるとあたしの脇に寝転がリ、今度は上目でじっと見据えてきた。
「この痴女。誘い魔」
「あらー、誘われたってこと?」
精一杯の皮肉も余裕の笑みで返されあたしは言葉を詰まらせた。なにかが吹っ切れ、そのはずみにサナエの上に覆い被さる。そこで気付いたことが一つ、誰かを見下ろすって存外照れくさい。
「保健室ってマニアックだね」
「それお前が散々力説してきた所だろ」
サナエはふふっと笑ってあたしの首に両腕を回し、あたしはめまいを起こしそうになった。バカか、と意味もなく呟く。
「わたしはリョウのこと好き」
サナエは、らしくないなんの含みもない澄んだ目をして言った。開け放たれた端の窓からの風があたし達の髪をなびかせる。あたしはそれに触発され静かにサナエのまぶたにキスをした。色々とごまかして過ごすのは疲れる。悔しいけどたまには素直になろうと決めた。
そのとき廊下から誰かの足音が聞こえてきた。瞬時に不吉な予感が脳裏をよぎる。サナエはこの部屋の放送は切っても鍵を掛けたとは言っていなかった。
足音は徐々に大きくなってから不意にぴたりと止み、続いてコンコンと保健室のドアを二回ノックする音がした。
[08/03/14]
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