日番谷君は笑わない。 【 スマイルマニュアル 】 昼休みが終わり、日番谷が座布団から立ちあがった瞬間。 本当に、不意に。 雛森はそう思って、思った途端に声が咽から滑り落ちていた。 慌てて口を掌で覆ったけれど、1度漏れ出た言葉が撤回されるはずもなく。 日番谷はいぶかしむように雛森をじいっと見詰めてから、それでも応えを返してくれた。 「お前が笑いすぎなんだよ」 些細なことでよくもまぁ全開で笑えるもんだよな、と日番谷が続ける。 「そ、そんなことないもん!あたしが普通なの!」 「自分が普通だって主張する奴が普通だった試しってねぇよな」 「ひつがやくん!!」 「別に俺が笑わなくたって何の支障もないだろ」 「あたしが困るの」 「何でだよ」 「見たいから」 「日番谷君の笑った顔」 言い切ってから羞恥がわいて、雛森の頬が僅かに桜色に染まった。 日番谷がきょとんとした目でこっちを見ているのに居た堪れなくて思わず俯いてしまう。 「………全開で笑ってるの、見たことないもん」 小さい頃から日番谷を知っているけれど、笑った顔は本当に貴重な記憶で。 その貴重な記憶を辿ってみても、ちょっと口端を上げた偉そうな笑い方とか、目の色をち ょっとだけ柔らかくした微笑だとか、そういったものばかりで。 目を細めて、口を開けて、声を出して、そういう全開の笑顔を見た事は本当に1度もな いのだ。 長い付き合いであるにも関わらず。 不意に思いついた思考は、考えれば考えるほどぼろぼろと膨れ上がっていく。 「ねぇ、どうして日番谷君は笑わないの?」 無謀な質問だと心の隅で感じながらも、雛森は問いかけた。 だってもし原因があるのだとしたら、知りたい。 知って、何とかして、日番谷の笑顔を見たい。 「あのな」 日番谷が困ったように溜め息をつく様を、雛森は座布団の上からじっと見上げた。 その真摯な眼差しに根負けしたのか、日番谷がふと視線を畳に落とす。 これは日番谷の思考するときの仕草だ。 日番谷はしばらく黙りこんでから、ちょっと投げやりな口調で、こう言った。 「………お前に吸い取られてるんじゃねぇの?」 「え?」 「俺の分の笑い顔まで吸いとってるから、お前あんなに笑ってるんじゃねぇの?」 「………」 どうしよう、と雛森は思った。 それが本当なのだとしたら、どうやって日番谷に今までの分の笑顔を返してあげれ ばいいんだろう。 考えたいのに、頭の中は何故か真っ白で。 「おいこら」 日番谷の声に反応を返せない。 「雛森」 自分が笑わなくなればいいんだろうか。 そうしたら、日番谷は笑えるように……? 「嘘だ」 「…………うそ?」 「だから真剣に考え込むな」 「本当に?」 「そう」 頭の中の真っ白が、真っ赤に転換された。 「ひ、ひどい!!」 「よく考えなくたって嘘だってわかるだろうが。感情が吸収されて堪るか」 日番谷だけが立っているので、高い位置から腕が伸びてきて、雛森の前髪をぐしゃ ぐしゃと掻き混ぜた。 「あたしにはわからなかったの!!」 「単純」 「嘘ついたほうが何でそんなに偉そうなの!?」 毛を逆立てる猫みたいに言葉を繋げる雛森に、日番谷はふと目に真剣な色を滲ませ た。 「笑い方なんて知らないんだよ、俺は」 「………」 「いや、笑い顔っつーのは分かるんだ。分かるけど、自分でそれをやってるとこが想 像できねぇんだよ」 「…………笑うのって考えてやることじゃないと思う」 考えて導き出した笑顔は、笑顔と言わない。作り笑いになってしまう。 「そんなことは分かってる。だから、お前、手本見せてろ」 「え?」 「笑ってるお前を見続けてたら、いつの間にかそれが脳に擦りこまれて、そしたらい つか笑えるかもしれねぇだろ」 だからお前は俺の前で笑ってろ、と日番谷は真剣な目のまま続けた。 「………ほんとうに?」 「多分な」 日番谷の目を、雛森は覗きこんだ。真剣な色がまだ滲んでいる。こういうとき、日 番谷は決して嘘をつかない。 だから雛森は笑った。 「しっかり見ててね」 たくさん、たくさん、笑うから。 (日番谷くんの隣にいれば、いつの間にか笑ってるから) 嫌でも見るはめになるんだろ、と日番谷は生意気に返した。 ずっと隣にいるのだと約束してくれたみたいで、雛森はまた全開で笑った。 END |